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社説・コラム

『想』 山本孝昭(やまもと・たかあき) Bar(バー)での出逢(であ)い・縁

 「この本の著者の山本さんですか?」。カウンターの端から優しい声がした。2012年、東京・広尾にある小さなバーが佐野光徳さんとの出会いの場となった。1985年、巨匠レナード・バーンスタインを音楽監督・指揮とする「広島平和コンサート」を33歳でプロデュースし、今なお世界で活躍するクラシック音楽界の影の重鎮だ。

 11年に出版した拙著「『IT断食』のすすめ」に大いに賛同し、それをIT会社の社長が書いたと知り、どうしても会いたくなったとのこと。大いに盛り上がる中、私が広島出身であることに気付かれ、「広島平和コンサート」の開催に至る話となった。時は82年、31歳の佐野さんは有力音楽マネジメント会社から独立したばかり。将来も不安な中、原爆投下から40年を迎える年に広島で世界平和を祈念するコンサートをやろうとひらめいた。しかも指揮は米国のスーパースターであり、世界の巨匠バーンスタインでと。

 「何としても会わなければ!」。その一心で佐野さんは何のあてもなく、ニューヨークに降り立った。帰国する前日、やっと秘書に会うことができ、企画説明を延々2時間。すると彼女はその場で欧州にいる巨匠に電話。「85年の予定を空けるように」と伝えられた。広島、アテネ、ウィーン、ブダペストを巡る「広島平和コンサート」の起点を得たのだ。

 31歳、私が東京青山にITの会社を設立したのと同じ年齢。クラシックの世界をわずかながら知るにつれ、その若さで本当にすごいことを成し遂げられたと驚嘆するばかりだ。

 昨年夏の佐野さんの一言が印象に残っている。「僕は、縁のおかげで望外の挑戦や仕事をさせてもらっている。本当にありがたい」。この謙虚さと抜群の行動力が、佐野さんに素晴らしい数々の縁をもたらしているのだろう。70歳を目前にしてもなお、会えば機関銃トーク。本当に励まされ、うれしくなる。

 でも、下戸の佐野さんとなぜあの広尾のバーで出逢ったのか…。縁とは不思議なものだ。(ドリーム・アーツ社長)

(2019年12月6日中国新聞セレクト掲載)

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