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社説・コラム

[NIE これ読んで 担当記者から] 原爆文学 「世界の記憶」に

■ヒロシマ平和メディアセンター・桑島美帆

国内外に賛同呼び掛け

 原爆詩人の峠三吉(1917~53年)たち3人の文芸作家が被爆直後に書いた日記や直筆メモなど5点を、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」(世界記憶遺産)に登録しよう―。実現を目指して、申請手続きをする動きが広島市内で広がっている。国境や世代を超えて原爆文学作品を継承し、核兵器廃絶と平和の礎にしたいという思いがある。(9月27日付朝刊)

 「ちちをかえせ ははをかえせ/としよりをかえせ/こどもをかえせ」―。峠三吉が1951年に出版した「原爆詩集」の「序」の一節です。声に出して読むと、尊い命を奪った原爆への激しい怒りや反戦の決意が胸にぐっと迫ってきます。

 76年前のあの日、峠は自宅で被爆。2日後に広島陸軍被服支廠(ししょう)へ行きます。8月8日の日記には「屍(しかばね)のにほひと薬品と入り混りたる異臭」が充満する中、苦しみながら横たわる女学生たちの姿を記録しました。この日記やメモが「原爆詩集」の下敷きになりました。

 5点には、作家原民喜が被爆翌日から惨状を記録した手帳、詩人栗原貞子が代表作「生ましめんかな」などを書き留めた創作ノートも含まれます。

 市民団体「広島文学資料保全の会」が国内外に呼び掛けると、賛同者は220人を超えました。しかしユネスコに申請するには、国内選考を通らなければなりません。官民の連携や地域の盛り上がりが不可欠です。民喜のおいの時彦さん(87)は「原爆文学資料は人類に対する警告であり死者への祈り。若い人も知ってほしい」と話します。

 鋭い感性や洞察力、豊かな表現力で記された被爆作家の作品から、ヒロシマの光景や人々の苦しみが生々しく想像できるはず。3人が残した文学作品を、ぜひ読んでもらいたいです。

(2021年10月3日朝刊掲載)

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