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社説・コラム

『想』 湯崎英彦(ゆざき・ひでひこ) 言葉の持つ力

 毎年8月6日が近づくと「原爆の日」に関連するインタビューやコメントを求められる機会が多くなる。なぜか今年は平和記念式典での知事あいさつを、どのように作り上げているか問われることが多かった。

 理由は、さまざまにあると思うが、一つには、近年、フェイクニュースという言葉が世間を騒がせているように、善きにせよあしきにせよ言葉の持つ力が、今、改めて認識されているからではないかと思う。

 平和記念式典での私のあいさつは毎年、自分自身で考えている。もちろん資料の収集や数字のチェックといったことは事務方に頼むこともあるが、基本的には自分の言葉で語っている。

 ただ、それは一人で考えた方が良いとか、さまざまな意見を取り入れた文章の方が優れているとか、そういった問題ではないのだと考えている。それは、恐らくメッセージを考える時に、それを誰に伝えたいか具体的な顔を思い浮かべながら考えた言葉かどうか、という点が重要なのではないだろうか。

 恐らく誰もが感じていることだと思うが、私たちは面と向かった場合でさえ、自分の意志を正しく人に伝えるのは難しい。時には家族でも難しい場合がある。まして、遠く離れた言葉も文化も違う人々に向かって思いを届けることは非常な困難が伴う。だからこそ私たちは、言葉を発する側の都合ではなく、誰に何を伝えたいか真剣に考えることが重要だと信じている。

 昨年の私のあいさつは子供向けで分かりやすかったと多くの人に言われたが、決してそうではない。子供にでも分かる当たり前の道理を理解してほしい、という大人に向けたメッセージだった。  スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥンベリさんのスピーチが衝撃を与えたのもごまかしを排したメッセージだったからであろう。

 今月11月24日に1981年以来38年ぶりにローマ法王が広島を訪問される。ローマ法王がどんな言葉で世界に語りかけられるのか、とても楽しみにしている。(広島県知事)

(2019年11月14日中国新聞セレクト掲載)

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