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社説・コラム

『想』 井田典子(いだ・のりこ) 心と暮らしの平和を

 広島市西区で育った私にとって、今も8月は平和への思いを新たにする特別な月です。

 父の川崎巳代治が終戦を迎えたのは16歳の夏。校庭に穴を掘り、被爆死体を焼くという、壮絶な体験をしました。中学教員時代は「二度と教え子を戦場に送らない」という強い使命感をもって平和教育に取り組んでいたように思います。何も娯楽を求めない人で、ほとんど遊びに行った記憶がありません。退職後は、原爆の語り部として平和記念公園だけでなく海外でのスピーチ、核廃絶をめざす会の活動など、ことし3月に90歳で亡くなるまで手帳のスケジュールはびっしり埋まっていました。

 母の幸子は終戦当時10歳で、兄弟と広島県高田郡(現安芸高田市)に疎開していました。奉仕活動で広島市内に残った母親を原爆で亡くしたことが実感できず、「今日こそ迎えに来てくれるかもしれん」と待ち続けたそうです。「弟の面倒をよく見たねと褒めてもらいたかった」。涙ながらに話します。母親という絶対の尊い命を理不尽に奪われた事実は、何年たっても納得することはできないのですね。

 それでも両親は敵国を憎むのではなく、戦争や核兵器をなくすことを心から願いました。旧ソ連の核実験場だったカザフスタンを支援するヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクトの立ち上げから加わったり、海外の平和活動家のホームステイを延べ100人、30年近く受け入れたりしてきました。

 私は被爆2世として両親の志を引き継ぐほどの活動はできませんが、「片づけで人の心を平らに整える」ことも平和への第一歩と思うようになりました。この豊かな時代、私たちは「モノや時間やお金」を独り占めしていないでしょうか。特に東日本大震災後は消耗品のストックを減らす、湯船のお湯を4分の3に減らすなど「4分の3で暮らそう」と呼びかけ、私自身も4分の1をいつも社会に差し出す意識に変わりました。平和と共存は遠くの理想ではなく、身近な生活習慣を見直すことから始まるのではないでしょうか。(整理収納アドバイザー)

(2019年8月11日中国新聞セレクト掲載)

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