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連載・特集

「がんす横丁」シリーズ 夢の盛り場―新天地界わいの思い出― (十五)女角力梅ヶ花

文・薄田太郎 絵・福井芳郎

 同じ埋立地(うめたてち)でも、八丁堀となると、京口門あたりとはおのずから性格の変(かわ)ったものがあった。というのは、大正三年、現在の福屋デパートのあたりに、活動写真館「帝国館」が出現して、京口門あたりの老砂絵師をよせつけないような西洋シャシンを上映したからである。映画のことは、他日にゆずるとして、この帝国館のあたりから現在の勧業銀行までの、所謂(いわゆる)千日前には埋立当初から、いろいろな見世物小屋が立ち並んで、大正末期までの凡(およ)そ十年間、八丁堀特有の盛り場を現出した。

 特に、もと歌舞伎座跡と現在の帝劇、東洋座の敷地が、仮設小屋の中心地で、サーカス有田洋行、浅草名物の玉乗り、それに張りボテの大蛇を飾った、怪し気なる神楽団(かぐらでも見世物になった御時世であった)真剣槍(やり)を使って文字どおり、火花を散らす殺陣が売(うり)モノの改良剣舞、それにアプレゲールには耳よりな、女角力(ずもう)などモッパラこのあたりを根ジロとした。

 この女角力は、ナントなく若い人たちに人気があったなどと、これを説明するのも野暮(やぼ)な話であるが、戦後ばやりの「肉体劇」のように、エゲツナイものではなかった。長崎出身という女おうぜき梅ヶ花がスターで、これがなかなかの美人である。一向に笑わない。愛きょうがナイようで、実はその大たぶさ、色白の面ざし、縫いぐるみで包んだ胸のあたりなんとも言えぬミリョクである。土俵上で立派にすもうを取つてさすがに大関らしく、負けることがナイ。

 彼女が化粧回しをつけて、「しょもう、しょもう」で角力(すもう)甚句をやっても、一段とその唄声が爽やかであり、ほかの角力のように足に二銭銅貨大のおできの跡などは、決してない。腹の上に数俵の米俵を積み、その上に梯子(はしご)を重ね、木臼まで持ち出して二人の関取が餅搗(もちつ)きをする。その間彼女は白扇を開いて、風を入れながらこの重労働に耐えている。重量揚(あ)げの変型と思えば、間違いない。変型と言えば、女ばかりの角力では面白くないと、時に懸賞飛び入りで、トンデもナイ野郎が飛び出すが、例外なしに彼女たちに投げ飛ばされていた。女性に対するエチケットを心得た飛び入りであるが、これがほとんどサクラの仲間うちの男で、それだけ角力をイロイロ面白く見せて呉れるのは言うまでもない。(最近、ある外国人のルポルタージュで、彼女たちの後継者たちが、長崎にいることを知った)

(2015年8月30日中国新聞セレクト掲載)

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