×

連載・特集

「がんす横丁」シリーズ 夢の盛り場―新天地界わいの思い出― (十八)新天地系譜 新天座創生時代①

文・薄田太郎 絵・福井芳郎

 新天座のこけら落(おと)しは、大正十年九月頃であった。当時帝キネの重役山川吉太郎の肝いりで、この劇場へは帝キネ専属の役者が振り向けられた。

 最初の来演は、新派の大井新太郎一座で、女形には関真佐男がいた。演(だ)しものは大阪アシベ劇場で人気をとったという、ある船長の家庭を扱った悲劇で、当時流行の連鎖劇と銘打ったものである。これは文字どおり、舞台と活動写真とのつながりがある芝居で、シャシンのところは、決(きま)って追っかけッこである。でない時には、例の女主人公が家出して、琵琶歌に合わせてのお涙ちょうだいで、海岸あたりをさまようところ。広島では江波あたりがよく、サツエイされた。投身のセツナを誰かが助ける場面――そこまでは映画であるが、暗転になってからはそのシャシンそのままの舞台がつくられて、劇がつづけられるといった趣向。この一座の連鎖劇は初出演ながら、連日満員の好評であった。

 大体同じ劇団が一ケ月打つと別の劇団と交代するのであるが、二回目は女形の久保田清一座で、彼の楽屋が広場近くにあった関係で、外から見られる彼から女への扮装(ふんそう)ブリが、舞台以上に評判となった。

 以下来演の劇団は熊谷武雄、伊村義雄で、熊谷は花柳界モノで受け、伊村は切られ与三の新歌舞伎で、その美男振(ぶ)りが持てはやされた。伊村の一座には伏見直江、信子姉妹が、その父伏見三郎とともに加入していた。現在映画に名前を見せている大倉文雄は、熊谷一座の三枚目であり、女優守住菊子や、高瀬実乗の相手役であった御園艶子も、この新派一座に加入していた。大阪で新派の名女形と言われた秋元菊弥、小栗武雄、それに大先輩成美団の木村猛夫一座には、福島清、秋山十郎など明治新派界で鳴らした顔も見られた。五味国太郎、山田九州男もしばしば来演し、水谷八重子の芸術座は森英治郎、武田正憲との寄り合い世帯で、一年に一度はこの劇場に現れた。

 開場当時上演の劇は、殆(ほと)んどが新派劇であり、古風の恋愛劇であり、シュウトの嫁いじめ的大衆悲劇であり、封建臭フンプンたる他愛(たわい)もない芝居であった。役者のうちで人気のあったのは、大井新太郎、熊谷武雄で、その後新派では静間小次郎、小織桂一郎、野沢英一、武村新、福井茂兵衛などの古顔が見られたが、すでに若手の熊谷、大井あたりの人気には、到底及ばなかったようである。

(2015年10月4日中国新聞セレクト掲載)

年別アーカイブ