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連載・特集

「がんす横丁」シリーズ 夢の盛り場―新天地界わいの思い出― (十八)新天地系譜 青い鳥歌劇団②

文・薄田太郎 絵・福井芳郎

 大津賀はウタ一本であったが、この一座でスターは、女ざかりの園春枝であった。彼女は狂言替りごとに円ジュクした達者な演技を見せ、若葉みどりの麗姿とともに人気の双ヘキをなした。後に羽田別荘のダンス教師となった浪花君子の舞台も、年期を入れたよさを見せた。

 原子爆弾で倒れた丸山定夫はモチロン無名時代で、水品春樹、若宮美子らとともに、歌のウタエない役者として、セリフ一本で働いたが、シュミットボンの「街の子」の老薬師に扮(ふん)した丸山の演技は、すぐれたもので後日の片リンがうかがえた。音楽は石井漠の一座にいたピアノの小田一雄がタクトを採っていた。そして同氏は後に、材木町浄宝仏教音楽会の教師として、大先輩永井建子氏とともに、しばらく広島にいた筈である。

 この青い鳥の経営は、どんなカタチで運ばれたかは知らない。明神座座主木谷氏が、面倒を見ていたことを知っているが、同氏もピカドンで故人となった。

 ところでこの劇団の娘サン達の制服は、みどりの袴を胸高にしめた、ヅカ・ガールそのままで、外に出るとあたりのかみサンたちの、洗濯の手を休ましたのは勿論(もちろん)のこと、南入口の汁粉屋吉野庵で、彼女たちがあべがわをカジルの図は舞台以上の本領であった。

 もともとメーテルリンクの名作よりも、当時人気をあつめたユニバーサルの青い鳥映画の感傷で、この名がつけられただけで、劇団の経営は決して裕福ではなかった。約二ケ月ばかりで、これ以上は打てないところまで落ちていった。というのは、演(だ)しものが一週間替りで、三十五名ばかり頭を揃(そろ)えていても、歌のコナされるのは数人で、あとは五線譜が何本で構成されているのかをハッキリ知らない、音楽とはおよそユカリのなさそうな連中である。

 事実彼らは舞台をウロウロする以外に、能がナイと言えば、よい芝居の出来る道理はナイ。そして開場当時のいい顔が、大津賀の熱情にも拘(かかわ)らず、客の不入りで脱退者が相次いだのが、チョウ落の主な原因であった。情熱だけで引き留められないものに、大阪松竹から借用の衣裳、舞台装置の問題などが絡んで、ツイにその年の秋近く、青い鳥は消えて、この劇場は映画館に転向した。ポーリン・フレデリック主演の「マダムX」が、林天風の解説で好評を博したような気がする。またグリフィスの超大作「イントレランス」や「世界の心」が上映されたのも、この頃この小屋でのことであったか。

(2015年10月25日中国新聞セレクト掲載)

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