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連載・特集

「がんす横丁」シリーズ 夢の盛り場―新天地界わいの思い出― (二十)「『胡蝶の舞』の印象」

文・薄田太郎 絵・福井芳郎

 広島のどんな盛り場で――劇場で活動写真が最初に公開されたかということをはっきり知らない筆者はそれだけ明治三十年代を自分のモノにしていないことになる。しかし四十年代となるとシネマトグラフの失敗の記憶につづくものとしては、十日市町の新地座で見た活動写真“胡蝶の舞”は今でもハッキリと覚えている。

 というのは、この写真が美しい色彩モノであったからである。

 場内が暗くなって、正面二階あたりからの投光で舞台のスクリーンに映し出された仕掛けであるから、これは原名バイタスコープで米国理学士エジソン氏最近発明の活動写真であるワケだが、上映された色彩映画の「胡蝶の舞」は、小編成ながらのジンタの音に合わせていともあでやかなモノであった。僅(わず)か一巻ぐらいのもので、その映写時間は十分と持てなかったような気がする。

 はじめ、画面の左右から二人の女性が両手に蝶の羽を持って現れる。その羽というのは、両手をひろげてその先端から両足先にかけてヒラヒラする絹のようなもので羽がつくられ、斑紋が描かれそれに薄い青や赤の色が染められている。二人の姿が消えると画面一ぱいに一女性が笑いを浮かべながら首をふりふり現れる。彼女も両手をひろげて斑紋入りの羽を持っているが、前の二人の場合よりは大きく、前にも増した各種の色彩でこの羽が塗られている。丁度(ちょうど)照明をかけて、色が次から次へと変化してゆくように、この大きな羽がヒラヒラと動く度ごとにその色彩が移り変(かわ)ってゆく。最近の天然色映画のような陰影のない、ただ、明るい一方の色彩映画であった。

 この“胡蝶の舞”は、一齣(こま)ずつ着色されたモノであるそうだが、詳しくは「フラー嬢の胡蝶の舞」というのが題名であるという。またこの時上映された色彩映画にはお伽(とぎ)ばなしふうのモノが一本――つまり大きな岩が倒れてある人間をせんべいの如(ごと)く薄っペラにすると、女神が現れて金杖を振る。するとこの岩が、もとのように立ち直って、せんべいになったモノが、もとの人間になるといったものや、ギリシャ史劇のモノだったが、これはカッ色に塗られたフィルムで歴史上の人物が凶刀に倒れるといった筋のものや、ナイヤガラ瀑布海岸の岩が波を〓(か)むばかりの風景写真が上映された。しかし不思議にこれら映画について活ベンの印象はなにもナイ。

(2015年11月29日中国新聞セレクト掲載)

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