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連載・特集

「がんす横丁」シリーズ 夢の盛り場―新天地界わいの思い出― (二十二)最初のアトラクション

文・薄田太郎 絵・福井芳郎

 八千代座の娘ギダの看板が、紙製の泥絵具(えのぐ)で描き替えられ、広島で二番目の映画館となったのは、明治天皇御大葬の実写を上映した時からであったようである。その頃、八丁堀の見世物小屋に、手の指、足の指が密着したままの若い男が不自由なその指先に、筆をはさんで看板絵を描きはじめた。どの人物を見ても長身で、手足が延びきった姿態は、この男が描いたものだけに妖気といったものが漂っていたような気がした。

 たとえば新派活劇「水中美人」という探偵ものでは、女賊が水中で短刀を振りカザして大立回(たちまわ)りをやる看板は、濡(ぬ)れ髪を振り乱した半裸姿で、いとも怪しいモノである。しかし写真では、女形が彫物(ほりもの)のぬいぐるみ姿で大あばれをやるのでどうしても女でないことがバクロされ、到底看板ほどの味は出なかった。まさに看板にイツワリある映画で、この写真は横山運平が主演した日本最初の劇映画“ピストル強盗清水定吉”であったかも知れない。八千代座は、娘義太夫から転向しただけに「菅原の車曳首実ケン」「那須与市青海硯」「三十三間堂棟木由来」など、義太夫モノを上映するほかに、時々ムスメ達の実演の一幕を添えて目玉松之助の向(むこ)うを張った。

 あるとき「曽我の夜討(ようち)」が上演された。ムスメのふんした十郎が出て、仁田四郎と大立回りをやる四郎は大ナギナタを持てあましていると口ひげを落(おと)す。すると十郎が、そのヒゲを拾って四郎につけてやり、再び立回りをつづけるという、コンニチの軽演劇のはしりである。一方、五郎は、御所五郎丸に組み敷かれるのであるが、反対に五郎丸が縛られるといったナンセンス劇で、これが出語りのチョボに合わせて演じられた。結末がどんなになったか記憶にないが、映写室からの色とりどりの照明は美しく珍(めず)らしいものであった。この映画館でのナンセンス劇は、広島での最初のアトラクションと言われるべきであろう。

 この小屋で十日間以上もうけたのは「馬賊脱走記」という満州(現中国東北部)の馬賊に捕(とら)えられた男が、いかにしてこの危機から脱したかという活劇で、広野を多数の馬が駆け回るというだけで見物を沸かせた映画である。新派モノでは中野信近一座の「己が罪」「生さぬ仲」「渦巻」も矢つぎばやに上映され一時は松之助ファンを東にうばった程で、さてこそと世界館のベン士清水が敵状(てきじょう)テイサツのために、よく八千代座付近に自転車で現れていたのかも知れない。

(2015年12月13日中国新聞セレクト掲載)

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