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連載・特集

東京のヒロシマ <5> 原爆被害者の墓(八王子市)

核なき未来へ祈りの場

 東京都八王子市の東京霊園に「原爆被害者之墓」と刻んだ共同墓がある。古里に親族がいなかったり、合葬を望んだりした被爆者と家族、45人が眠る。東京の被爆者団体「東友会」の副会長、山本英典さん(85)が発案し、賛同した有志が2005年に建てた。

 ある独居の被爆者の死がきっかけだった。会の仲間が広島の親族に遺骨を届けに行くと、「そこに置いといて」とぞんざいに扱われたという。「差別にさらされ、必死に生きた被爆者が死後まで冷遇されるなんて悲しすぎる」と山本さん。「安らかに眠ってもらえるようにしたかった」

 原爆に家族を奪われ、独り身のまま老後を送る被爆者もいる。共同墓は自らの亡き後を案じる人の受け皿にもなり、14件の生前予約があるという。

 山本さんたちは、墓所に広島、長崎の地図や折り鶴の絵をあしらった碑も建てた。ヒロシマを描き続けてきた洋画家、長尾祥子さん(84)=東京都世田谷区=のデザインだ。「No More Hiroshima Nagasaki」の文字も彫ってある。

 広島市出身の長尾さんも入市被爆者だ。原爆投下時は広島県北部に疎開していて助かったが、市内で被爆した父親は翌年5月、もがき苦しみながら逝った。「碑には『ヒバクシャをつくってはいけない』との思いを込めた」と長尾さん。「墓前に立つと、被爆者運動に尽くしてきた人たちの思いも胸に迫ってくる。襟を正す感じがします」と言う。

 毎年10月、山本さんが代表を務める墓の保存会が墓前祭を営む。故人をしのび、核なき未来への思いを新たにする場。体調を崩して昨年、一昨年と休んだ長尾さんも、今年は出席するつもりだ。(田中美千子)=おわり

(2018年6月7日中国新聞セレクト掲載)

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