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連載・特集

「がんす横丁」シリーズ 夢の盛り場―新天地界わいの思い出― (二十八)東洋館と昭和シネマ(その1)

文・薄田太郎 絵・福井芳郎

 盛り場新天地のたん生と共に、東洋、日進両映画館の出現は、中島方や八丁堀方に大きな脅威となった。

 東洋館は松竹系で、初期蒲田作品の殆(ほと)んどが上映された。カメラのヘンリー小谷が蒲田に招かれてアメリカ流の撮影やカッテングに解説向の新映画をつくり出した頃である。それが新天地開場すこし前、寿座に大阪の山崎錦城、松木狂郎たちを派ケンして、瀬川つる子の「鉱山の秘密」、諸口十九と川田芳子の「真珠夫人」を公開した。その直後の広島お目見得映画は野村芳亭の野心作「清水次郎長」(これには初めての試みとして、立回(たちまわ)り場面に洋楽伴奏が使われて好評であった)「女と海賊」、栗島澄子の「ぐ美人草」「船頭小唄」などが上映され、五月信子、岩田祐吉、新進の梅村蓉子、柳咲子が売り出したころである。後に八丁堀日本館が東洋座と改称されて、蒲田作品がそのまま引きつがれ、解説者には白藤愛光、川路健、生流恭美らが現れ、阪妻、右太衛門、長二郎映画、松井千枝子、高田稔、筑波雪子、田中絹代を中心とし、蒲田中期作品が扱われた。そして時には、パーシー・モーモントの「冬来りなば」も上映され、最初の発声映画坂東好太郎の「生き残った新撰組」もここで封切られた。

 中島本町の世界館が昭和シネマと改称されて、パラマウント作品が上映されたころには、八丁堀帝国館はチョウ落の一途をたどり里見凌洋は太陽館に買われていた。また昭和シネマには、東洋座から白藤愛光が転じて、凌雨以上の人気を博した。上映作品はバレンチノの「血と砂」、ウィル・ロジャース、チャールス・レイの田園風物詩モノから、バーセルメス、ギッシュの「散り行く花」「東への道」、それにアラ・ナヂモバ夫人二役主演の「レッド・ランタン」は伴奏曲の太湖船とともに、そのころの若人たちの血をわきたたせたものである。

 慈仙寺横の第二集散場の喜楽館は、日活の松之助モノのほかに、中村扇太郎、市川姉蔵モノを上映し、主任ベン士は竹中道明で連続物「鉄の爪」は西部ファンの人気を集めた寿座横の新明館であったか、東亜キネマの光岡龍三郎、団徳磨主演のモノが、おいらん達に好評であったかと思えば、昭和シネマが漸(ようや)く洋物から脱落して、マキノ作品封切(ふうぎり)館となり、マキノ輝子、月形龍之助、片岡千恵蔵たちのケンゲキ物、喜楽館もマキノものに変(かわ)り、高木新平の「怪傑鷹」、市川幡谷の「佐平次捕物帳」が好評で、元安川以西では新興マキノ・ファンが圧倒的な数を占めていた。

(2016年2月7日中国新聞セレクト掲載)

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