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連載・特集

「がんす横丁」シリーズ 夢の盛り場―新天地界わいの思い出― (二十九)日進館から天使館(その1)

文・薄田太郎 絵・福井芳郎

 盛り場新天地の創設と同時に、もと八千代座跡に出来たのが、洋画セン門の日進館である。開館前から―それもまだ場内の二階を大工が叩(たた)いているというのに、新造のオーケストラボックスでは、専属管弦楽団が、その頃としては珍(めず)らしいチェロ、コントラバスを持ち込んでの、猛練習が一週間ばかりつづいた。(広島に最初のチェロやバスを紹介したのは、寿座での蒲田作品公開の松竹管弦楽団であった)小型の指揮者宇都宮幸三を中心に、メンバーは八名くらいで、開館と同時に洗練された演奏ブリが呼物(よびもの)となり、自称関西第一の楽団ということになったようである。

 それに手島春粋というインテリ解説者が現れ、どんな文芸作品でもコナサレるというところから、大作品が次から次えと上映された。春粋は、東新天地に天使館が創立されて、トーキー時代となるまで終始これら映画館と行動を共にし広島映画史には忘れられない好印象を残している。

 日進館での上映記録の主なるものは、ナヂモバ夫人とバレンチノの「椿姫」、チヤツプリンの「街の灯」「ゴールドラッシュ」、ギッシュ姉妹の「嵐の孤児」―この映画の伴奏には邦文の主題歌「サンビカ」が唄はれて新機軸を開いた。―フェアバンクスものでは「奇傑ゾロ」「三銃士」「ロビンフッド」「バグダッドの盗賊」デミル作品の「十誡」、フランス作品ではモジュウヒンの「キーン」―この映画でのフラッシュバック手法は忘れられない―カトランの「嘆きのピエロ」―見ても判らないものであった。アベル・ガンスの「鉄路の白バラ」、ロスタンの「シラノ・ド・ベルジュラック」―天然色映画であった。ドイツ作品ではディートリッヒ、ヤニングスの「嘆きの天使」「バリエテ」、ベティ・アマンの「アスファルト」、その他「ジーグフリード」等である。その後のユ社大作品も殆(ほと)んど、この館で上映され、フォン・ストロハイムの「アルプス颪」「愚かなる妻」の宣伝は、空前絶後といったちからの入れ方であった、即(すなわ)ち、日進館前一帯が、その題名入りの紙旗で飾られ、二十数本の宣伝幟が新調された。それにジンタ入りの市中行進宣伝ではこれまた大型題名入り紙旗を、一千本近くも用意して、行く先々で子供たちに配るといったやり方で、まさに「愚かなるセンデン」ではあるまいかと思われるほどの費用がかけられたようである。映画そのものはあまりに渋く、ストロハイムの女性ボウトクに近いえぐり方が、華やかな宣伝の裏付けにはならなかった。

(2016年2月21日中国新聞セレクト掲載)

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