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連載・特集

「がんす横丁」シリーズ 夢の盛り場―新天地界わいの思い出― (二十九)日進館から天使館(その2)

文・薄田太郎 絵・福井芳郎

 日進館のオーケストラは、更にメンバーを増員して、ルバシカ姿の白系露人三名が参加して、益々(ますます)好評を博した。映画はザッ・ピッツの「グリード」やチャップリン作品「巴里の女」、ジョウザァ・ヘールの「救いを求める人々」など異色編の公開に、この館ばかりは他館に見られない特殊の観客層によってガッチリと盛り立てられた感があった。

 昭和四年頃であったか、楽団の指揮者宇都宮幸三は九州に去り、経営が羽田別荘に移ってからは、専属歌劇団音楽部が現れて、間奏にいわゆるジャズ音楽を演奏したが、なかでも当時流行を極めた「キュウバの南京豆売り」は若い人たちの絶賛を博したもので、漸(ようや)く広島に社交ダンスがたい頭しはじめた頃のことである。

 日進館は、その後天使館として東新天地に移転し、夏には冷房装置が施されて、今日にして思えば外国の映画館ででもあったのかというナツカシさである。

 上映された映画は、フェアバンクスの「バンチョウ」(投げムチの妙技が印象に残っている)ピックフォードとの共演になる「ぢやぢや馬馴らし」、第一次大戦を扱ったドロレス・デル・リオの「栄光」、ルネ・アドレイの「ビッグ・パレード」、ファレルの「第七天国」、クララ・ボウの「イット」(この映画が公開されてから、付近盛り場のあるバーでさる物識(ものし)り顔のお客が、あまりイットを発散さすなよと言えば、ある評判の女給が、まア失礼なッと柳眉を逆ダてた。彼女はイットとは、気体のゴトキものであると思ったらしいとは、終郞の“お面”から借りて来たような話であるがこれはマサに実話であり、映画のイット余談である)同じボウや、リチャード・アーレンの空中戦映画「つばさ」、ジョージ・バンクロフトの「暗黒街」「紐育の波止場」などであるが、間もなく発声映画の登場で、天使館も新しい出発を余儀なくされた。丁度(ちょうど)、無声から発声映画への切り替え時代であったか、往年ユ社のブルーバード映画で、日本ファンに馴染(なじ)まれた、モンロー・サルスベリイが、突如天使館の舞台に現れて、得意のインデアンの扮装(ふんそう)を見せたが、当時の若いファンにはこの老優の印象がなかっただけにほとんど話題にならなかった。帝国館時代に来れば、大当たり間違いナシであったであろうに、後年上山草人が「バグダッドの盗賊」の王子の扮装で、寿座の舞台に現れたと好一対の実演話である。

(2016年2月28日中国新聞セレクト掲載)

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