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連載・特集

「がんす横丁」シリーズ 夢の盛り場―新天地界わいの思い出― (三十)初期発声映画時代

文・薄田太郎 絵・福井芳郎

 発声映画が広島に現れたのは、昭和五年(一九三〇年)の暮から六年はじめにかけてではなかったか。とにかく、モノを言う映画は広島人のだれにも大いに期待されたが、実のところ、なかなか口から声の出るモノが公開されなかった。―というのは、発声映画にはパートものとオールもの、それに一二〇パーセントものの三種があるというような宣伝の末に漸(ようや)く天使館で上映されたのが、パートものであった。それはチャールス・ピックフォードか、ゲーリー・クーパー主演の西部劇で、シッ走する馬蹄(ばてい)の響、拳銃の音などが、まさに発声映画なるかなの感を与えた。伴奏音楽もパートものの一部なので、自然センゾク楽団は解散の浮目(うきめ)をみた。(最もこの頃はレコード伴奏であったか)然(しか)し登場人物が口を利かなくて、依然とスポークンタイトルがあるので解説者を必要とした。無声時代の人気者バーセルメス主演の「暁の偵察」では、爆音や空中戦にトーキーの真価が受けとれて、天使館は発声映画ばやりの盛況さであった。その後リチャード・アーレン主演の「四枚の羽根」が上映されて、FKではマイクを天使館の舞台に据え、手島春粋の解説で、画期的なトーキー中継放送を行った。間もなく待望のオールトーキーがお目見得(めみえ)したが、主人公の会話に解説者の説明がダブって、映画見物とはおよそ、不愉快なものであると思わされた。当時、まだマエ説といって、この映画のあら筋が説明され、解説者自身が「食うか食われるか、車輪で相つとめます」といったヒソウな心情をうったえた。

 ところが、さすがの解説者もトーキーに食われてか、都合により無説明で上映するといった広告さえ出された。この頃、中島本町の昭和シネマではレコードシステムのトーキー準備中で、ここでもマエ説が出て、「当時のトーキー設備は、遺憾ながら今週の上映には間にあわないので、取りあえずレコード係の敏腕によって、画面の進展にピッタリと合わせようという趣向であります。幸にして、ウマク合いますれば、お客さまのお得であります」と言って引きさがる。やがて「ブロードウェイ・メロディ」が映写されたが、ダンスのところはとも角として、唄のところとなると、一向に口の動きと発声が合わなくて、折角(せっかく)のこの趣向は、こちらの損ということになった。間もなく邦画タイトルのつけられた、スタンバーグの作品「モロッコ」の上映で、発声映画への盲点は開かれた。その後、ジーン・ハロウの空中戦映画「地獄の天使」が鷹野橋付近の映画館で上映された。

(2016年3月6日中国新聞セレクト掲載)

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