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社説・コラム

川島宏治のプラス1 広島平和記念資料館(広島市中区)館長 志賀賢治さん

 広島市中区の広島平和記念資料館(原爆資料館)は、被爆資料の収集・展示や被爆体験の継承活動などを通じて被爆の実相を世界に伝える。5月にはオバマ米大統領が訪問。外国からの来館者も増え続け、核廃絶への機運が高まる中で、その役割も増している。

 昨年度は149万人が来館し、外国人も過去最多の33万人以上を記録。開館から61年を迎える資料館は、展示や運営の大幅な見直しに向けて過去最大のリニューアルを進める。12代目館長の志賀賢治さんは、その陣頭指揮を執る。

 資料館の使命を達成するための調査研究、情報発信機能の強化や人材育成…。設立の原点に戻って模索する志賀さんに、新たな構想などについて聞いた。

 <広島平和記念資料館>1955年8月に開館。所蔵する被爆資料は約2万点。2014年に東館から改修に着手。18年7月に本館を含めたリニューアルオープンを予定。16年3月までの累計入館者数は6733万人。31日までオバマ大統領のメッセージと折り鶴を展示している。

原点に返り 調査研究から被爆伝える

  ―オバマ米大統領が広島を訪れる前と後で変わったところはありますか。
 昨年の同時期と比べて入館者が3~4割増えた。大統領が持参された折り鶴の展示をしているが、それも来館者増につながっていると思う。

  ―大統領のメッセージには国や広島、世界中の人は何をすべきかというような部分があるように感じました。
 21年前、われわれの先輩はワシントンのスミソニアン航空宇宙博物館と一緒に、被爆の実相を(原爆を投下した)エノラ・ゲイの実物とともに伝える試みを実施に移そうとしたが、博物館の評議員会などの決定でかなわなかった。ようやく政治のトップが来られ、わずかな時間ではあるが、被爆の実相に触れていただいた。

 21年間、米国や世界中で実相を伝える努力を続けた。それがこういった形につながったと自己評価している。私が着任して3年間の原爆展は熱心な協力を得られた。ワシントンでも数千人に見ていただいた。少しずつではあるが、きのこ雲の下で何が起きたのか、まず見ようじゃないか、という流れは出てきている。

  ―資料館本来の目的もありますが、最近は多様性を帯びてきたように思います。
 リニューアルをしながら考えている。本来、この館は何をすべきか、ということを議論し直したい。どういった資料を集め、何を伝えていくのか。館のマネジメントを含めた運営方針を確立できないだろうかと思っている。

 また、外から見る館のありようと運営にちぐはぐなところがあったのではないか。その結果として資料の劣化が急速に進んでいたり、資料や館の記録が少しおろそかになっていたり、博物館本来の機能が脆弱(ぜいじゃく)になってきたところがあるんじゃないかと。どこで見つかったのか分からなくなっている資料もある。人手不足や学芸的な知識を持った人間があまりいなくて、資料整理もままならない時期があった。これは二度とあってはならない。

 外から来られる方は、大変な期待を持って来られる。当館への視線はもっと高まってくる。資料収集や職員の人材育成、海外からの問い合わせにもきちっと対応できるような運営方針を考えたい。

  ―原点に返って考えるというのは、そういう時代背景があったからですか。
 昨年、初代館長(長岡省吾氏)が残した資料の寄贈があった。彼は8月7日(被爆翌日)から1人で資料を集め始めた。地質学を学んだ人で、熱線の温度を石の溶け方で察知した。とんでもないことが起きたと。爆心地を歩き回って体調も崩したそうです。そういった人間の思いをもう一度共有していきたい。

  ―やらなければいけないことがたくさんある。
 私は中継ぎのような気がする。ずっと被爆者が館長をやってきて、先々代は胎内被爆。私の代になって被爆者を親に持つ世代に変わった。次の世代はと考えた時に、被爆とは縁のない人間になる可能性も否定できない。そうなった時のために、館の方針をきちっと出しておいた方が後輩たちも楽だろう。被爆の事実を被爆者との縁でつなげていくのではなく、調査研究の中できちっと「あの日」を語ることができる人間が運営する施設にならざるを得ない。

  ―将来が見えるところまでは、ということですね。
 資料の収集、保存、保管、調査研究、展示や啓発活動もある。その作業を繰り返し、設立目的を果たしていくのが博物館の使命。それを愚直に学術的な背景を持ちながらやっていける施設であるべきだ。それに専念できるような体制をつくっておきたい。

 志賀さんの放送はちゅピCOMで6日から12日まで。放送時間は原則、ふれあい・ひろしまが午前10時、午後7時(8日はなし)、同11時半(6日はなし)、おのみちが午前10時、午後4時、同11時半。放送時間は変更になることがあります。本紙朝刊番組欄などでご確認ください。

しが・けんじ
 名古屋大法学部卒。1978年に広島市職員。主に情報技術の分野などを担当し、企画総務局情報政策担当部長、広島市立大事務局長、健康福祉局長などを歴任。2013年に広島平和記念資料館の12代館長となる。広島市中区出身。63歳。

(2016年8月6日中国新聞セレクト掲載)

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