×

社説・コラム

『想』 藤哲哉(ふじ・てつや) 「カープ 原爆 お念仏」

 「カープ坊主の会」は、僧籍を持つカープファンの集まりだ。北海道から沖縄まで、ハワイにも会員がいて、現在120人ぐらい。私も含め9割が浄土真宗本願寺派だが、大谷派も曹洞宗、浄土宗のお坊さんもいる。

 始まりは2011年、親鸞聖人の七百五十回大遠忌法要だった。原爆で壊滅的な被害を受けた安芸門徒は、カープと親鸞聖人の念仏の教えを心の支えに復興を成し遂げた。広島の僧侶として、今までもこれからも心に留めるテーマを「カープ」「原爆」「念仏」と再確認した。

 稚児行列は平和記念公園を歩いた。参加者の記念品に、球団の協力を得て「カープ坊主」のステッカーなどを作った。おなじみのカープ坊やが赤い衣に数珠を持つデザインは、先輩僧侶が手掛けた。取り組みはそこで終わったはずだった。

 ところが昨年。黒田博樹投手がカープに帰ってきてくれるという。にわかに優勝への期待が高まった。「リアル坊主の会をつくったら面白いのう」。フェイスブックで呼びかけると、瞬く間に50人を超えた。

 新聞や雑誌で報じられ、お参りに行った先の反応も変わってきた。ご門徒はどうしてもお寺さんに遠慮がある。ところが話題がカープとなると、「あんたはそういうが、あの投手交代はないで」とざっくばらんな物言いとなり、距離がぐっと縮まる。カープが一瞬のうちに、垣根を取り払ってしまうのだ。

 普段、人と人との間には薄いカーテンがある。それは互いを守る知恵でもあるが、深く理解し合うにはやっかいだ。「カープが好き」というだけで、自己紹介も後回しにできる。広島は多くの家のトイレの壁に勝敗表が貼ってあり、お母さんは実況を聞きながらご飯を作る町である。カープの力を痛感する。

 昨季終盤の戦いぶりは、胃に石ころが入ったようだった。持てる力を出し切れないのはなぜか。もがきもがき、答えを見つけてほしい。勝ち負けに拘泥するのは仏の道に外れる。が、カープは別だ。牧師さんや神父さんの参加も待っている。(カープ坊主の会代表、善福寺住職)

(2016年3月25日中国新聞セレクト掲載)

年別アーカイブ