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社説・コラム

『想』 伊沢弘(いざわ・ひろし) 原爆の記憶を口伝する

 劇作家の井上ひさしさんに憧れて演劇の世界に入りました。井上さんの話を聞くことができると思い、彼が特別講師を務めていた劇団に入ったのが38年前。ただ、入ってみると井上さんは既に辞めていました。会うことができないまま、彼は6年前に亡くなってしまいました。

 夢は井上さんの作品を演じることでした。でも出演する機会には恵まれなかった。還暦を迎え、それなら自分でプロデュースして自分で演じようと思い立ちました。選んだ作品は「少年口伝隊一九四五」です。

 被爆直後の広島で、少年たちが新聞の代わりに口伝えでニュースを伝えた実話に基づく物語です。懸命に生きた少年たち。被爆の影響などで若くして亡くなってしまいます。戦争のむごさを伝える群読劇です。

 私は生まれも育ちも東京・神田。修学旅行で広島を訪れたことはありましたが、実を言うと原爆について深く考えたことはありませんでした。ところが井上作品の全集を読みあさるうち、少年口伝隊が私の心を捉えたのです。

 なぜなのか。やはり、戦争が現実化しかねない最近の世の中のきなくささが背景にあります。子どもが2人いますが、彼らを戦場に行かせたくない。自分と同じように自由にやりたいことをやって生きてほしい。そんな思いがあったからです。

 8月7日から13日まで東京・両国のシアターX(カイ)で少年口伝隊を上演します。東京では原爆の悲惨さをよく知らない人が多い。劇を通して「口伝」したいのです。私は老人役。広島市出身の若手声優も出演します。会場では広島市出身の写真家中谷吉隆さんの作品展も催します。原爆ドームの下で遊ぶ子どもたちなど、戦後の広島の風景を捉えた写真は少年口伝隊を思い起こさせます。

 上演に向けて広島市を30年ぶりに訪れました。少年口伝隊の舞台を巡ったり古い新聞記事を調べたりしました。いずれは広島でも上演したいと思います。井上さんから「頼むよ」と託されている気がしています。(俳優・演出家)

(2016年8月4日中国新聞セレクト掲載)

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