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社説・コラム

『想』 冨恵洋次郎(とみえ・ようじろう) 被爆証言にある「人間味」

 「え? 広島出身なの? うわー、原爆がうつるわ」。千葉市のバーで働いていた20歳のころ、酔っ払ったお客さんに言われた。酒の席だし、特に感情的にはならなかった。「へ~、そんなふうにまだ思っとる人がおるんじゃ」と客観的だった。

 数年たち、広島市でバーを開業。原爆についての観光客の質問に答えられないことがあり、恥ずかしかった。小さい頃、平和教育を「ちゃんと受けた」はずだったが、他の科目と同じで忘れている。受けただけで伝えられないなら意味がない。広島に関心があるお客さんの質問ぐらいには、答えたかった。

 そんな思いから原爆資料館(広島市中区)や図書館に行き、勉強した。正直、面白くなかった。「歴史の授業」と同じ。もっと「人間味のある話」を聴きたいと思った。「原爆の語り部」をインターネットで調べたが、全てが過去のリポートだった。原爆資料館が被爆体験の証言者を紹介してくれると知り、お願いしようと考えた。

 1人で聴くのはもったいないから、お客さんと一緒に聴こう―。そう思ったのが10年前。自分以外にも聴きたい人がいるだろう。定期的に同じ場所で聴けるように、毎月6日、自分の店「バー スワロウテイル」で「原爆の語り部~被爆体験者の証言~」を始めた。

 会は現在120回を超えた。飲食店の従業員、「イケメン」のホスト、風俗業界で働く若い女性、お坊さんら、いろんな人が聴きに来る。証言者の被爆体験と戦後の人生の話に、泣く人も熱心にメモを取る人もいる。

 最後に、私は質問する。「当時楽しかったことは何ですか」。被爆者は少し戸惑うが、「被爆後に食べたおにぎりは人生で一番うまかった」「原爆ドームのてっぺんまで登るのは怖かったけど楽しかった」「焼け野原からいろんなものを集めて秘密基地を作ったな」。懐かしむように笑顔で言ってくれると、私たちにも笑顔が生まれる。

 被爆体験は、原爆による被害や悲惨な話だけではない。そんな中でも必死に生きてきた人間の話だ。(バーテンダー)

(2016年6月10日中国新聞セレクト掲載)

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