×

社説・コラム

『想』 黒瀬真一郎(くろせ・しんいちろう) 遺構が伝える力

 東日本大震災で児童・教職員計84人が犠牲となった宮城県石巻市立大川小の卒業生たちが8月、広島にやって来ました。71年前の惨禍を伝える原爆ドーム保存の経緯や、被爆の記憶の継承について学ぶのが目的でした。「原爆の子の像」の建立やドーム保存運動に関わった故河本一郎さんと同僚だった私に、話を聞きたいとのことでした。

 当時6年生の妹を亡くした卒業生の佐藤そのみさんと、小中高校生の男女5人です。佐藤さんは犠牲となった妹への思いを胸に、「こんな悲惨な出来事が二度とあってはならない」と卒業生男女6人で2014年3月、「チーム大川」を結成し、被災した母校の保存を公の場で訴えています。保存か解体か。両論ある中、石巻市長はことし3月、校舎を今の状態で保存することを決めました。

 広島でも原爆ドームを取り壊すかどうかの論議がありました。河本さんは1960年、「広島折鶴の会」の子どもたちと、保存を求める署名と募金活動をいち早く始めました。白血病のために16歳で亡くなった楮山(かじやま)ヒロ子さんの日記の言葉を受け止め、「痛々しい原爆ドームだけが恐るべき原爆を伝えるだろう」と訴えたのです。6年後、広島市議会はドームの保存を決定し、市は保存のための募金に乗り出します。

 ドームが世界遺産に登録されて20年。平和都市広島を象徴するドームが取り壊されていたら、何をよりどころに平和の願いを発信できたでしょうか。

 私の話を聞いた佐藤さんと、同じように妹を亡くした紫桃朋佳(しとう・ともか)さんは「大切な命を守るため、平和を発信する原爆ドームに学び、地震や津波の恐ろしさを後世に引き継ぐには何を伝えていくべきかを、同世代と話し合いたい」と語ってくれました。

 原爆ドームと大川小学校舎の保存運動に共通するのは、賛否両論ある中、子どもや市民の活動が契機となり、行政を動かし、その決定に大きな影響を与えたことです。私はそのことに希望を覚えます。意義を深く受け止め継承したいものです。(広島YMCA理事長)

(2016年9月16日中国新聞セレクト掲載)

年別アーカイブ