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社説・コラム

『想』 杉浦圭子(すぎうら・けいこ) ヒロシマの<朝>

 平和記念公園の桜が満開の春の日に広島を出て、3年半になろうとしています。今は大阪城公園のすぐそばのNHKで働いています。

 大阪放送局制作の「あさが来た」をご覧いただき、ありがとうございました。全国の中でも、中国地方の視聴率は群を抜いて高かったです。語りを担当した私へも、故郷からの応援の声がしっかり届いていました。

 一昨年の夏、生まれ育った広島市安佐南区八木地区で、土砂災害が起きました。両親の暮らす家に帰るたび、私は崩れた傷痕が残る阿武山を見上げます。災害で大変な思いをされている方々は日本中にいらっしゃいます。そんな被災地へ「あさちゃんの元気をお届けしたい」という願いを込めて語りました。「どんなことがあっても、また新しい朝がやって来ます。きょうも一日、笑顔でいられますように…」

 考えてみますと、被爆地ヒロシマは71年間、朝が来ることを信じて核廃絶と世界の平和を訴え続けてきました。「自分と同じような苦しみを他の人に味わわせてはいけない」という一心からです。これほど真っすぐで誠実な動機があるでしょうか。

 私が原爆・平和報道に関わるようになったのは被爆40年からです。平和記念公園、病院、特別養護老人ホーム、学校、修学旅行生の宿など、ヒロシマの街のさまざまな所で被爆体験を語る方々を見てきました。ご自身の体のしんどさは脇に置いて一心に伝えておられました。その姿は、アナウンサーである私のお手本になりました。

 月に3回、金曜深夜に放送している「関西発ラジオ深夜便」。私は、この番組のデスクを務めています。内容を決めたり、後輩と一緒に番組を作ったりする仕事です。9月10日には、舞鶴引揚記念館の学芸員・長嶺睦さんに京都放送局の丹沢研二アナウンサーがインタビューする「明日へのことば」をお届けする予定です。どこにいても、どんな形でも、ヒロシマの人間らしく<朝>を信じて伝え続けたいと思っています。(NHKアナウンサー)

(2016年9月2日中国新聞セレクト掲載)

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