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社説・コラム

『想』 松園真(まつぞの・まこと) 桜隊と倉田百三

 大林宣彦監督の新作「花筐/HANAGATAMI」が昨年末、封切られた。御年80歳。ガンと闘いながらの製作に敬服するばかりだ。しかも、原爆で多くの団員を失った移動劇団「桜隊」を描く次回作の撮影も予定しているというから驚きだ。

 私の住む庄原市は、「出家とその弟子」や「愛と認識との出発」で知られる作家倉田百三が生まれ育った地である。その百三と桜隊には、知られざる縁があった。

 戦時下、中国地方で公演を行っていた桜隊は1945年8月6日、広島市堀川町の宿舎兼事務所で団員9人を原爆で失う。その中に高山象三という21歳の若者がいた。父の名は高山徳右衛門。映画全盛期の東映時代劇に多数出演し、名脇役として知られた薄田研二である。

 母は晴子。百三の最初の妻だ。15年、晴子は広島病院入院中の百三と出会い、入籍せぬまま子を産んだ。その頃、百三は岩波書店から出版した「出家とその弟子」がベストセラーとなり、一躍、時の人となる。生来、情多き百三は、晴子を含めた3人の女性を家に出入りさせていた時期もあり、当時の雑誌や新聞で「多妻主義」などと報道されて世のひんしゅくを買っていた。

 この状況に心を痛める晴子に同情し、思いを寄せたのが俳優になる前の高山徳右衛門であった。高山は百三を慕い、師と仰ぐ関係でもあった。やがて、高山は百三の承諾を得て晴子と結婚。24年1月に象三が誕生する。演出家を志す象三は桜隊に加わったものの、広島で被爆。2週間後、神戸の知人宅で短すぎる人生を終えた。

 私はひそかに、「象三」は百三の命名ではないかと思っている。旧制三次中学校時代の百三のあだ名は「エレファント」なのである。百三の祖先は尾道の人。大林監督もまた尾道の人だ。大林と桜隊→桜隊と高山象三→象三と百三…。一つ一つつながっていく。

 命名の真偽はともかく、監督の次回作を百三生誕の地から心待ちにしている。(前倉田百三文学館館長=庄原市)

(2018年5月23日中国新聞セレクト掲載)

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