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社説・コラム

『想』 北小路旬子(きたこうじ・じゅんこ) わたしとお寺と音楽と

 昨年の8月6日、浄土真宗西福寺(広島市南区)で平和の集いがあった。副住職の夫が約80人を前に「平和を生きる」の題で法話をした後、アナウンサーの友人が峠三吉の原爆詩集を朗読。美空ひばりが第1回広島平和音楽祭で披露した「一本の鉛筆」など平和を願う2曲を、私が歌った。

 初の「夫婦共演」だった。30年間、学んできた音楽で平和の尊さを少しでも伝えられたような気がして、この上ない喜びを感じた。今年も数回、このような催しを計画している。

 僧侶の妻になるとは思いもしなかった。それまであまり意識していなかった「命」の意味を考えるようになった。昨夏のリサイタルでは金子みすゞの詩にメロディーが付いた14曲をソプラノで披露した。専門のイタリアオペラとは勝手が違ったが、簡潔な日本語で命を見詰める優しい詩が心に響いた。

 間もなく結婚2年になる。しかし、お寺や仏事のことは分からないことだらけ。結婚当初、「ぼうもりさんを呼んできて」と門徒さんに頼まれた時、誰のことか分からなかった。「坊守」が住職の妻の呼び名と知ったのは、しばらく後だ。

 エリザベト音大を卒業後、30代に4年間、イタリア北部のボローニャ市に留学した。日本人がほとんどいない街での生活。広島に帰ろうと何度思ったことか。大好きな音楽の道だから続けられた。15年前からほぼ毎年、広島でリサイタルを開いている。大学時代の同期がいつもスタッフとして支えてくれる。結婚後は夫やその家族、お寺の関係者の皆さんにも助けられる。

 そんな時ふと思う。最近、感謝の気持ちをちゃんと素直に伝えているだろうか。「ありがとう」と言葉にしているだろうか。たったの5文字だが、お互いが幸せになれる大切な、すてきな言葉だと思う。

 婚姻を届けた日、夫が「結婚してくれてありがとう」と言った。照れくさくて返事ができなかった。これからはみんなに素直に言おう。「毎日訪れる日常にありがとう」「今日もまた会えてありがとう」と。(声楽家)

(2018年3月28日中国新聞セレクト掲載)

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