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社説・コラム

『想』 松尾静明(まつお・せいめい) 大人への告発

 小中高生の話を聞いたり作文を読んだりする機会が最近多くなってから、私(大人)の中に既に失ってしまった純朴な目線や心の姿勢に、あらためて気付かされている。

 子どもの素晴らしさは、何が善で悪か、何が正か邪か、などということにとてもシンプルな感性を持っていて、それがさまざまなしがらみに絡まった大人の言動を蹴り上げるということだろう。

 例えば「原爆を持ってよい国といけない国は、どこで分けているの?」という質問をしてきた子どもがいる。大人はその矛盾に気付いていても目をそらしているのだが、子どもの心には大きく重い感情なのだ。

 もう一つこんな質問もあった。「原爆をなくせる人は、オバマさんですか、トランプさんですか」。世相はトランプ氏の「圧力」外交へ傾いている。けれどこの質問はもう一つの意味を持っている。それは「核の廃棄を為政者(権力者)に任せていていいの?」ということだ。

 為政者が代わるたびに、外交や政策の内容が変わるのを子どもたちは知っていて「それでは核はなくならない。何で他人に任せるの?」とシンプルに問う質問である。

 このような子どもからの質問に触れて思うのは、大人の難しい言説より、子どものシンプルな意見の中にこそ、本当の未来の姿があるのではないか、ということだ。

 ヒロシマだけでなく、大人への告発は、イラク、アフガニスタンなどなど、紛争が続く国で傷つき命を失った子どもたちからも届く。

 「大人は何を恐れて戦争をするの?」。そんな心を代弁した拙詩の一部から、子どもたちの切実な叫びをぜひ聞きとどめていただけたらと思う。

 さあ もっともっと/ぼくたちを奪うがいい//きよらかなもの/やさしいもの/ひたむきなもの/いとおしいもの/それら あなたたちが/最も恐れているものを/さあ もっともっと/ぼくたちから奪うがいい(松尾静明「さあ」から)(日本現代詩人会会員=広島市)

(2017年11月29日中国新聞セレクト掲載)

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