×

社説・コラム

『想』 浜住治郎(はますみ・じろう) 胎内被爆者として

 「被爆者ではないんですよね?」。米ニューヨーク駐在の記者にそう聞かれた。「いえ、被爆者ですよ」。そう答えながら、胎内被爆者の存在が知られていない現実を痛感した。

 4月29日~5月10日、ニューヨークの国連本部で、2020年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議に向けた第3回準備委員会が開かれた。私は胎内被爆者としては初めて、公式行事で発言する機会を得た。

 1945年8月6日、私の父は広島の爆心地近くの会社で亡くなった。私を身ごもっていた母は当時、妊娠3カ月。翌7日から姉と共に父を捜した。遺骨はなく、見つかったのはベルトのバックルなど遺品3点だけ。母と7人の子どもが残され、私は父の写真を見て育った。

 原爆は人として死ぬことも生きることも許さない。準備委では、原爆の反人間性や、胎内で被爆するとはどういうことかを知ってもらいたかった。父を含む20万人余の原爆犠牲者や、生き残った被爆者の「人間の尊厳」と「人間の回復」を求める生の声を伝えたかった。

 原爆は、投下から74年となる今なお被爆者の体、暮らし、心に影響を及ぼしている。胎内にいても被害は免れられない。むしろ胎児だからこそ、放射能の影響は計り知れない。胎内被爆者は現在約7千人。健康不安は消えないものの、被爆の直接の記憶は持たない。その声がどれほど届くのか、不安だった。

 公式行事の翌日、準備委のサイード議長と面談した。議長は「被爆体験を聞いたのは初めてだ。妻にもあなたの話を伝えた」と語ってくれた。「つらい体験だが、人の心を動かし、核兵器廃絶に向かう動機をくれる。NPT発効50年、国連設立75年となる来年は必ず、核軍縮を前進させねばならない」。議長の言葉に胸が熱くなった。

 準備委で、私は発言をこう締めくくった。「核も戦争もない青い空を世界の子どもたちに届けることが、被爆者の使命であり、全世界の大人一人一人の使命ではないでしょうか。共に力を尽くしましょう」(日本被団協事務局次長=東京都)

(2019年8月2日中国新聞セレクト掲載)

年別アーカイブ