×

社説・コラム

『想』 江成常夫(えなり・つねお) 鎮魂の聖地

 今年も鎮魂の原爆の日が巡ってくる。一人写真の道を歩いて40年余り、アジア太平洋戦の現地に足を運び、死と悲しみを強いられた声なき人たちの声を写真で代弁してきた。

 この仕事の文脈のもと、広島に足を運んで四半世紀になる。長い歳月、閃光(せんこう)と爆風を受けた人たちと向き合い、耳をそばだてることで、人間の存亡に関わる原爆禍を改めて教えられた。

 拙著「記憶の光景・十人のヒロシマ」(新潮社など)には、こんなくだりがある。

 「お父ちゃんぼく今晩死ぬるよ」。自分の死を悟った11歳の少年はそう言い、息を引き取った。父親の高野鼎(たかの・かなえ)さんはその悲しみと、もっと早く敗戦を迎えていたら、という無念の極みを歌に託している。

 「たひらぎを祈り給へるすめらぎの みことおそかりき吾におそかりき」

 ここ10年近く、原爆資料館に収蔵された被爆遺品と遺構にレンズを向けてきた。白骨化した遺体の元で見つかった懐中時計。体内から摘出されたガラス片。日本軍に撃墜され、捕縛のもとで爆死した米軍兵士の認識票。死者の墓標となった原爆ドーム―。

 遺品や遺構には、罪もない人たちを無差別に殺りくした原爆悪の枢軸が刻まれている。

 広島の街が焦土と化して74年。広島は百万都市に復興し、原爆ドームや慰霊碑を除けば、被爆の跡は見えなくなっている。しかし、外に目を向ければ核保有国は米、露、英など9カ国、2016年時点の核兵器数は1万5350発ともいわれる。そしてまた、核廃絶を標ぼうし、起草された「核兵器禁止条約」も核保有国の多くが批准を拒み、唯一の被爆国である日本もこれに応じていない。

 こうした現世にあって救われるのは長年、声を上げてきた被爆者の草の根の声―そのもとで育まれた「ヒロシマ・ナガサキ」の核廃絶に対する風土である。

 過ちは利己主義と矛盾した論理から生じる―。鎮魂の聖地はカメラを向ける私に、こう教えてくれる。(写真家・九州産業大名誉教授=神奈川県)

(2019年7月4日中国新聞セレクト掲載)

年別アーカイブ