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連載・特集

「がんす横丁」シリーズ 夢の盛り場―新天地界わいの思い出― (三十一)映画解説者列伝(その1)

文・薄田太郎 絵・福井芳郎

 明治末期から大正初期にかけての、いわゆる広島ベン士界の草分けは、世界館の桂大正、帝国館の山下翆月であるが、帝国館華やかなりし大正三、四年頃から、昭和六、七年頃と発声映画館出現までの凡(およ)そ十七、八年間、そのかみのヒロシマ映画解説者列伝を書きとめて(いわゆるレツデン程度のものであるが)広島盛り場記録の一端としたい。

 蕗(ふき)の家凌雨(帝国館)彼は、後年の手島春粋と好敵手的な存在であった。リュマチ気味であったのか、足が不自由な割には口は達者であった。それがモッケのさいわいに解説者になったのであろうが、彼の得意はユニバーサル週報という、ニュース映画の解説で、もっぱら字幕に忠実であったと同時に、彼一流の主観を織り込んだ説明がウケた。

 例えば石井菊次郎男爵が親善特使としてアメリカに派ケンされたニュースには、アメリカがいかに石井男爵を通じて、日本に友好的態度を示したかを語り、同時にウイルソン大統領の親日感をフイルムだけでなく、第一次世界大戦後の情勢から説き起してフエン的解説をする。それがシワ声ながらの名調子なので、それに感激した観客から、俗に投げバナと称する金一封が呈上されたもので、凌雨があかりをつけて、舞台上から「厚く御礼申しあげます」とやったものである。日米親善のニュース映画や、彼の説明ブリに投げバナをしたお客の純情さなど、当時の世相の一コマを語る豊かさである。

 彼は病気がちでよく舞台を休んだが、病気カイ復後は人力車に乗り、ジンタ楽隊を先頭に赤いトルコ帽をかぶって全快ヒロウの町まわりをやった。解説ブリはそのストウリイに忠実であるばかりでなく、撮影技術にまでカイセツを加えたのも彼だけであった。初期ブルバード映画が場面転換に用いた絞り(クローズ)は、ふつう画面の中央に向けられたものが、エラホール主演の「質屋の娘」では人物中心にこのクローズが試みられた手法を、特に映写前に説明するといった親切ブリであり、前稿にも書いたが、主演俳優が画面に登場する度毎(たびごと)に、拍手をおくることが映画ファンとしてのエチケットであると、カイセツしたのも彼であった。帝国館が潰れてからは柳橋西ヅメ角の餅屋の店先に、彼の姿を見かけたものであるが、その後米国新帰朝の脳の五重奏カジヤマの大阪松竹座の実演に、解説者として晴の舞台を飾ったということを聞いたが、それからの消息は知らない。

(2016年3月13日中国新聞セレクト掲載)

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