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連載・特集

「がんす横丁」シリーズ がんす横丁 (十四)比治山と山路商(その2)

文・薄田太郎 え・福井芳郎

 またあのころ、段原東浦に住んでいた筆者が、赤ん坊を抱いてこの広場にいると、「Sサン、この馬が動くけんのう。ようみんさいよ」というのが、油絵を描くときの黒い作業服のようなものを着た商サンである。みると、広場の右側にあった銅製の馬がいる台石にスルスルと手をかけて、ましら(猿)のようにこの石垣を登ってゆく。途端に“白鳥の騎士”のような商サンは銅製の馬に乗っている。

 「動くぞ」と言った彼は、馬の手綱をひくようなかっ好で全身を動かすと、右前足を揚げていた馬は、瞬間にその足の方向に傾いたようにガクリガクリと動いた。商サンが乗っているだけに不思議なこともあるものだと、子供を抱いたまま、しばらくあきれてサッソウたる騎士の商サンと、あまりにもだらしない馬をみていた。

 商サンのほかは、仲間が数人、別の馬の鞍(くら)に乗っているのが夕やみの中に見えた。彼は専らこの広場を遊び場所にしていたようで、“おんばんさん”という氏神の側の通りを登って、この広場に出かけたもので、途中には横綱常陸山が書いた力抜山のモニュメントがあった。

 比治山を愛した商サンは、画題に比治山を選んでいた。昭和五年、二科展に入選した「比治山風景」は、新道の多聞院の方から描いたもので、傑作として評判になった大作であったが、原爆に焼けたのか、あの作品はいまもってその行方は判(わか)らない。

 商サンはあの比治山風景に気を良くしてか、おんばんさんの道を二十号のキャンバスに描いた。この作品はいま(昭和二十八年)でも胡町の名井屋の店先に掲げられているが、商サンの比治山風景をしのぶには唯一の作品となった。

 この作品は、当時の金にして五円近いもので売られ、商サンは仲間の詩人数人を連れて、平田屋川に架けられた中の棚橋のかぶりつきにあった居酒屋三村、別名を「キューコトン」で、心ゆくまでチロリから広島酒を呑(の)み、通称、長持ちがするのでチュウインガムといわれた串に差した鶏肉に舌鼓を打った(一本五銭であった。名物のあんかけ湯豆腐は三銭であった)。名井屋に残っている商サンの「比治山風景」がキューコトンの酒に化けた話は、最近「川よ、とわに美しく」の詩人米田栄作氏から聞いた秘話ならぬ実話である。

(2016年10月16日中国新聞セレクト掲載)

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