×

連載・特集

年金 もらい忘れていませんか? 柴田友都 <2> 戦中と終戦直後の勤務

想像上回る金額に驚き

 10年前の2011年に私は、広島市在住のM子さん=1927(昭和2)年生まれ=が戦時中と戦後すぐに勤めていた頃の年金を見つけることができました。

 調査を依頼された時、M子さんは「私の年金が見つかったら娘の活動に役立てたい」と話されていました。実は、グループホームを運営する娘さんが近々、新しいホームを建てる予定とのことでした。

 必要書類一式を送って約2週間後、M子さんから届いた年金相談票には、農協の前身の広島県農業会と、平和生命保険の2カ所に勤めていたと書かれていました。国民年金だけをもらっている年金証書のコピーも同封されており、すぐに調査を開始しました。

 長く年金調査をしていると、見つかりそうなケースは何となく分かります。ところが、調査書類を作成して年金事務所にいくら問い合わせても回答がありません。原因は勤め先が2カ所だったこと。回答までに結局、1年9カ月かかりました。それでも農業会の記録は44(昭和19)年10月~45(同20)年9月分と45年12月~46(同21)年5月分が、平和生命保険は47(同22)年10月~49(同24)年7月分が見つかりました。

 調査結果をM子さんに電話で伝えると、「依頼から2年近くもたって諦めていましたが、見つかって本当にうれしい」と言っていただきました。4カ月後、60歳までさかのぼった年金額410万円がM子さんに振り込まれ、あらためて電話がありました。

 M子さんが驚いていたのは、働いていた当時の月給は100円もなかったのに、どうしてこんなに大きな金額になるのかということ。これは年金の換算方法のためです。M子さんは当初の思いに沿って、娘さんのグループホームに年金を寄付し、2カ月ごとに増える年金は自身の老後の潤いにされるとのことでした。

 見つかった年金をこのような形で生かしていただいたM子さんは、私にとって忘れられない人です。戦時下や戦後間もない時期の年金は、思いもしないほどの価値があることを知っておいてください。(年金コンサルタント)

柴田さんの連絡先 〒333―0802埼玉県川口市戸塚東4の25の4、産友社会保険労務士事務所。☎048(296)2075、ファクス048(296)5914

(2021年10月15日朝刊掲載)

年別アーカイブ