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連載・特集

「がんす横丁」シリーズ がんす横丁 (二十二)ワンぽんのこホイ

文・薄田太郎 え・福井芳郎

 「ワンぽんのこホイ」というのは男の子の場合で、女の子の場合では「ジャンケンポン」という。「ジャンケン」を打つときの掛け声である。女の場合は二本の指を出してハサミを現わすが男の場合は人さし指を一本突き出してチョキ(棒)を現わした。グウはこぶしで、パアは片手の指をひろげてジャンケンを判定するのも、広島ばかりのやり方ではない。

 男の子供たちが大声で、しかも全身を動かしての「ワンぽんのこホイ」の掛け声があちこちの「がんす横丁」で聞かれたもので、これには広島特有の風情があったように想(おも)う。

 また比治山のドン(空砲)ではないが、比治山の陸橋(釣り橋)を舞台にしての「ドン」という子供たちの遊戯があった。大正の中ごろ、だれがこの遊びをはじめたかは判(わか)らないが、当時、春時分に香料の入った赤色や黄色の飲料水をひょうたん型のガラス小ビンに入れて売り出されたのがこの遊戯のオコリといわれる。

 この赤ビンは一個二銭で、子供たちからは大変な人気を集めた。飲物そのものの人気ももちろんであったが、このひょうたん型のガラスビンのくくりに結ばれた、赤や黄そして白色のかなり太い糸が「ドン」の遊びには、無くてはならないものであった。

 聞くところによると、この三色の糸を持って、それぞれこの陸橋の東西から「ドン」という掛け声とともにかけ出して、橋の中央でそれぞれが手の中に隠した太い糸を見せあって、赤色の糸は黄色の糸に負けるというような糸のやり取りがされたとのことである。その三つの色糸のやり取りもさることながら、比治山公園に陸橋が出来あがった当時、この釣り橋の動くスリルが東部の子供たちにうけて、この「ドン」という遊びが行われたものらしく、今でもこの比治山の「ドン」の思い出話を懐しむ広島人がある。

 比治山の「ドン」遊びは、陸橋の動くスリルが喜ばれたあたり、ローカル性がそのまま現われていて面白い。

 そのころの子供の遊びには、冬は「かい繰りゴマ」が流行した。今日ではもっぱら鉄輪の入ったコマであるが、フランスばやりのヨーヨーのように、右小指に真田ひもを結びつけて、軽くひもを伝わってゆく木製かい繰りゴマの感触はなかなかに忘れられない。街の広場にはこのコマがハンランして通行人を悩ませた時代もあった。

 パッチン遊びもさかんで、どちらが先手になるのか「ワンぽんのこホイ」の声が、繰り返された。「ありきしょッ」と言い、「ワンぽんのこホイ」と言い、いずれも昔の広島を代表する言葉であるが、今一つ「ありいどよう」という、あの頃の女性独特の言葉が思い出される。「ありきしょッ」同様に恥じらいの言葉であるが、これは中年女性の専用言葉でもあったようにも想う。

(2017年1月29日中国新聞セレクト掲載)

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