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あの日生き抜いた友と62年ぶり再会 旧制広島二中出身 埼玉の手島さん

■記者 石川昌義

 原爆投下当時、旧制広島二中(現観音高)の1年生で、建物疎開作業をしていた同級生の大半を亡くした医師手島康晴さん(77)=埼玉県志木市=が24日、今も健在の同級生5人と広島市中区で再会した。平和記念公園に近い本川左岸にある二中の慰霊碑に手を合わせ、友をしのんだ。

 「生き残ったことが申し訳なくて…」。碑前で言葉を詰まらせる手島さん。同級生たちは肩をたたき慰めた。

 あの日、風邪をひいていた手島さんは本川左岸での作業に参加せず、観音村(現広島市佐伯区)の自宅にいた。終戦後、命拾いした数少ない同級生と机を並べたが、1947年2月に横浜市へ転居。62年間、連絡を取り合わなかった。

 一人で慰霊碑を訪ねたこともあったが、負い目もあって級友の居場所は探さなかった。老いを自覚し始めた昨秋、生存する同級生20人でつくる「碑(いしぶみ)会」の存在を人づてに知り、再会を決意した。

 「遠く離れていても、級友を忘れた日はなかった」と手島さん。碑会の世話役、時安惇(あつし)さん(76)=広島市南区=は「原爆が引き裂いた同級生を思う気持ちは同じ」と感慨深そうだった。

(2009年5月25日朝刊掲載)

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