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[ヒロシマの空白 被爆76年 証しを残す] 復興へ歩む街 色鮮やか

 米国のユタ大図書館に、被爆4年後の1949年に広島市で撮影されたカラー写真が残っていた。同年には市の復興の礎となった平和記念都市建設法が制定された。米軍の原爆投下による中心部の壊滅から再建へ歩む街と市民の姿を色鮮やかに今に伝える。

 残っていた20枚のうち1枚は、広島駅前を2台のバスが通り抜けるカット。通行人の姿の先に「市場通」の看板が見える。戦後の闇市を源流にやがて「荒神市場」(後に「愛友市場」)と呼ばれ、現在は再開発ビルの「エキシティ・ヒロシマ」が立っている駅南口の東側エリアとみられる。

 煙を上げる車両は、広島電鉄の「木炭バス」。後部で木炭を燃焼して発生したガスをエンジンに噴射して動かしていた。30年代、日中戦争が進むにつれてガソリンが不足したため各地で導入。戦後も物資不足が続き、広島電鉄は52年まで使用した。「当社は白黒写真しかなく、貴重なカラー写真に驚いています」(同社広報・ブランド戦略室)

 原爆ドームの写真はアップが複数現存。竹と木の簡易な柵で囲われているが、敷地内は入れる状態で、柵には土産物の英語看板が掛かる。敷地内に今も残る被爆前の広島県産業奨励館の庭園の跡や柱の跡の写真は、背景から周囲の店舗などが見て取れる。

 ドームは96年に世界遺産登録。市は昨年度、過去の工事でピンクに近い色に塗装した頂上の鋼材を被爆当時に近いとされる焦げ茶色に塗り直した。今回のカラー写真の色にも近く、塗り直しで被爆後の色合いに近づいたことの参考資料にもなりそうだ。原爆資料館は「周囲の街並みを含め、戦後のドーム一帯をたどる上で今回のカラー写真は貴重だ」としている。(水川恭輔)

(2021年10月16日朝刊掲載)

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