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平和公園コンペ要項発見 広島市、ドーム保存記述 専門家「一級の資料」

 広島市が被爆4年後の1949年に実施した平和記念公園(中区)の設計コンペの募集要項が見つかった。建築家の故丹下健三氏のグループによる原爆ドームをシンボルにした設計案が選ばれ、同公園が世界に知られる平和発信の拠点となった原点を刻む。専門家は市の当初の整備方針を浮き彫りにする一級の資料としている。

 同公園は、元安川と本川に挟まれた三角州と対岸にある原爆ドーム周辺の計約12万平方メートル。コンペでは市が復興の柱として49年に設計案を募り、応募があった145点から丹下氏のグループの案が1等に入選。現在の原爆資料館本館から原爆慰霊碑、ドームを結ぶ南北軸を中心とした公園が54年までに整備された。

 見つかった募集要項は、表紙に原爆ドームの絵を掲載。募集の趣旨として「広島市は世界平和記念都市として再建する」と明記し、それに「最もふさはしい」公園の整備を掲げている。「世界平和運動の各種国際会議」や「原子爆弾災害の一切の資料を蒐集(しゅうしゅう)」などの機能を持つ「平和記念館」の設計も求める。

 また、元安川と本川に挟まれた旧中島地区と「元産業奨励館」(原爆ドーム)と周辺が予定地であることを図示。「元産業奨励館の残骸があるが、これは適当修理の上存置する予定である」とも記している。

 同公園整備に詳しい頴原(えばら)澄子・千葉大大学院准教授(建築史)によると、これまで募集要項は所在不明。コンペを伝える当時の新聞や雑誌は記述にばらつきがあり、ドームの扱いの記述がないものが多かった。今回見つかった募集要項にドームの絵や存置予定との記述があったと確認され、市が募集時にドーム保存を強く意識していたことが明確に分かった。

 募集要項は、戦後に広島大教授を務めた建築家の故佐藤重夫氏の遺族が見つけ、佐藤氏の生涯を調べている古川修文・元法政大教授(建築学)が内容を確認した。佐藤氏は、存廃議論の末に67年から始まるドームの保存工事を指揮。「ドームの主治医」と呼ばれた。

 平和記念公園のコンペの際は佐藤氏も応募。表紙には「元産業奨励館、之を爆撃の記念ニ残す」との本人のメモ書きが残る。古川さんは「ドームを残して市民の憩いの場を超えた場にしようとする方針が募集要項から伝わる。ドーム保存に尽くした佐藤先生が残した資料である点も貴重」と話す。原爆資料館は、佐藤氏の遺族と古川さんの協力を得て近く資料展で募集要項を紹介する。(水川恭輔)

 平和記念公園 広島市が1949年の広島平和記念都市建設法制定に伴って整備。丹下健三氏のグループの設計案に基づいて50年に着工し、54年に完成した。原爆資料館本館、原爆慰霊碑から原爆ドームを望む南北軸の眺望が特徴で、2007年に国名勝になった。丹下氏が実施設計した資料館本館は06年に国重要文化財に指定された。

(2021年10月17日朝刊掲載)

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