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社説・コラム

『想』 島本脩二(しまもと・しゅうじ) 21世紀の新生活倫理

 「さーっ、何食べようかっ!」

 初めて原爆資料館を見学し、肩を落として外に出たらすぐに聞こえてきた人の声でした。バイタリティーに溢(あふ)れていました。館内で一緒になった団体の中年婦人から発せられました。館内では「ひどいわねえ」「なんてことでしょう」と囁(ささや)きあっていた人たちでした。1979年8月、私が32歳の時です。

 整理のつかないことが、またひとつ重なりました。どうして一瞬にして違う世界に行けるのだろう? しばらく考えて出した結論は「悲惨さを強調すると、目は開いていても心が拒否する」というものでした。

 当時、私は写真を軸にした小学館の月刊誌『写楽』編集部員でした。友人で広島市出身の写真家・三浦憲治の被爆された母が亡くなったと聞き、原爆で出来てしまった物を美しく撮影し、核の非人道性を伝える「絶対悪」という企画を考えました。

 「三浦! 弔い合戦だ!」と言ったことを覚えています。アクリル板など美術品の撮影と同じ道具を持参しました。爆心地から500メートルの金庫から発見された象牙の印鑑は、フランスパンのように膨れ上がっています。熱でゆがんだ一升瓶や溶けて塊になった釘(くぎ)などは、まるで現代美術でした。

 昨年の夏に編集・出版した書籍『No Nukes ヒロシマ ナガサキ フクシマ』(講談社刊)の中にもその時の写真を掲載しました。「フクシマ」の後も、私たちは非現実としか思えないような光景を見せつけられています。

 敗戦から66年後に起こった「フクシマ」を受け止めるには、まずは今の暮らし方を変えなければならない、と気づきました。

 衣食住移動という基本的な営みを再検討しなければならないところにきているのです。新しい暮らし方を、昭和25(50)年頃から始まった「新生活運動」に倣って「新生活倫理」として書き留めています。

 「人間が統御できないことをやってはいけない」という「反核」は、その大きな軸だと思います。そのために何ができるか、日々、考えています。(編集者)

(2016年7月15日中国新聞セレクト掲載)

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