×

社説・コラム

『想』 行安茂(ゆきやす・しげる) 森滝先生の思い出

 オバマ米大統領が広島の原爆慰霊碑を訪問した5月27日夕、広島大名誉教授で日本被団協の理事長を務めた森滝市郎先生(1901~94年)が碑前で反核の座り込みをしていた姿を、私は思い出しました。先生は「人類は生きねばならぬ」という強い信念を持って、「核のない世界」の到来を悲願としていました。

 私は1954年、広島大大学院に入学しました。森滝先生の指導で7年間、英国倫理学を研究しながら、先生の反核運動に対する、並々ならぬ情熱と行動を近くで見てきました。

 森滝先生は若い時から座禅をし、心を練っておられました。「座り込み」は、座禅による核実験への抗議でもあったように思います。旧制広島高等師範教授だった先生は45年8月6日、動員学徒の指導中、広島市江波町(現中区)の三菱重工業広島造船所で飛び散ったガラスの破片を浴びて右目を失明しました。この体験は、先生の反核運動の原点となっています。

 57年8月、日本原水協の原水爆禁止国民使節団の一員として、森滝先生は英国、西ドイツ、フランス、オーストリアを歴訪しました。その際、英国の哲学者、バートランド・ラッセル博士と対談したことが、先生の反核運動を勇気づけました。62年にアフリカ・ガーナでのアクラ平和会議に出席した先生は、ノーベル平和賞を受賞したアルベルト・シュバイツアー博士と会談しました。思想の核に「生命への畏敬」を据えるシュバイツアー博士からも強い影響を受けていることは、想像に難くありません。

 森滝先生は65年、広島大を定年退官されました。退官後、「これからが本番だ」と考えた森滝先生は、反核平和の道一筋の生涯を全うされました。戦後70年を経て、原爆投下国の現職大統領としては初めて、オバマ氏は原爆慰霊碑の前に立ち、献花しました。そんな今だからこそ、森滝先生が長年にわたって国内外に向けて反核運動を展開してきた功績を、私たちは忘れてはならないと思います。(岡山大名誉教授)

(2016年6月26日中国新聞セレクト掲載)

年別アーカイブ