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連載・特集

ヒロシマと建築 岡河貢 <5> イサム・ノグチ「二つの平和大橋」

力強さ 古代日本に着想

 広島市中区の平和大通りに架かる平和大橋と西平和大橋の欄干は、丹下健三と協働した米国人彫刻家イサム・ノグチ(1904~88年)がデザインした。

 イサム・ノグチは日本人の父と、米国人の母との間に生まれた芸術家である。第2次大戦中には、日本人収容所に収容された経験も持つ。原爆で廃虚になったヒロシマの復興と、平和へのメッセージを込め、世界平和への懸け橋として平和大橋のデザインをしているように思う。

 コンクリートによるモダンな日本的デザインは、古代の弥生式の土偶やつぼに見られる、ほがらかで明るい造形からインスピレーションを得ている。日本人の父を持つ米国人として、古事記や日本書紀も意識し、太陽神である天照大神を思わせる円形のモチーフのおおらかさや、国引き神話の綱の力強さを連想させる造形を平和大橋の欄干のデザインにしたのだろう。

 このようなコンクリートによる古代的なイメージと近代性を併せ持つデザインの力を、丹下健三もイサム・ノグチから学んだように思う。その成果は1964年に日本で初めて開催された東京五輪の代々木体育館に見事に表れている。

 後年、日本と米国にアトリエを持って活動したイサム・ノグチのところに、広島市出身で世界的なファッションデザイナーとして活躍する三宅一生もたびたび訪れたという話がある。三宅も、世界に通じる日本からのデザインをイサム・ノグチから学んだのではないだろうか。

 イサム・ノグチは、日本では戦争で戦った米国人として、米国では戦争で戦った日本人として不条理な経験をしている。日本人収容所では、米国からスパイの疑いを持たれ、平和記念公園(広島市中区)の原爆慰霊碑のデザインでは、米国人という理由で受け入れられなかった。

 人種や国籍を超え、人類としての世界共通の普遍的なメッセージを発信する、イサム・ノグチのデザイン造形は、このような経験から生まれたのだろうと私は考えている。(広島大大学院准教授)

(2015年12月18日中国新聞セレクト掲載)

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