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社説・コラム

『想』 金尾哲也(かなお・てつや) 8月と不戦の誓い

 分かり難い。今回の安保関連法案だ。国民が戸惑う合間に、国会はこれを成立させるのだろうか。安倍晋三首相の悲願というが、実はとんでもない引き返せない橋を渡ることにならないか。

 私は法律をなりわいとしている者の一人として、また一人の僧侶として、やはりこの法案は相当にやばいと思う。憲法の主柱である平和主義に明らかに違反している。この法案が憲法違反だということは、あろうことか、自民党の推薦した憲法学者の国会での意見陳述で妙な具合に裏付けられた。

 ちまたでは、合憲、違憲、賛成、反対が交錯して、議論の終着点は見えてこない。また一方では、この法案に無関心を決め込んでいるたくさんの人たちもいる。こんな混乱した状態の中で答えらしいものを見つけようとすれば、ここはやはり、歴史にこと問うしかないのではないか。

 ふと1945年の8月を思う。何百万人もの犠牲者を悼みつつも、日本国民は「もう二度と戦争はしない」と誓ったのではなかったか。その不戦の誓いがこれまでの日本の復興、発展を支えて来たのではなかったか。今、8月の抜けるような青空を見上げながら願う。どうか戦のない平和な日々が続きますように。そして、父母たちの不戦の誓いが守られていきますようにと。深い悲しみのうちに独り言(ごち)するのである。

 8月は私にとって「死者の月」である。毎年8月になると陽光のまぶしさとは反対に、私の心は自動的に「喪」の作業に入るようである。6日の原爆の日、9日長崎の原爆の忌、15日敗戦の詔勅と続く。私事では敬愛した恩師高田吉典先生、そして最愛の母の死。みな8月の出来事であった。

 「8月はわれも悲しき月にして原爆敗戦母逝きし月」

 誰も現状のいかんにかかわらず、人が人に対し銃口を向け合うような時代を望んではいない。皆さん、平和についてのこの「8月」の意味を、もう一度かみしめてみませんか。(弁護士・僧侶)

(2015年8月30日中国新聞セレクト掲載)

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