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社説・コラム

『想』 松本徳彦(まつもと・のりひこ) 原爆記録写真の重み

 戦後70年、各地で「戦争と平和」「原爆」に関わる展覧会が開かれている。なかでも東京では「知っていますか―ヒロシマ・ナガサキの原子爆弾」と題する写真展が、千代田区の日本カメラ財団JCIIフォトサロンで30日まで開かれている。

 主催は公益社団法人日本写真家協会「日本写真保存センター」。人類史上初の原子爆弾によって甚大な被害をもたらした惨状を捉えた白黒写真60点で構成されている。

 中国新聞社が保存している松重美人が撮った被爆直後の写真や、原爆資料館(広島市中区)が収蔵する深田敏夫、岸田貢宜(みつぎ)、尾糠政美、川原四儀(よつぎ)らの写真、学術調査団に同行した菊池俊吉、林重男、田子恒男の写真もある。圧巻は、被爆翌日の長崎を撮影した山端庸介の写真。おにぎりを手にした母子像や、瞬時に熱線で炭化した青年など。原爆の惨劇の実相を克明に捉えており貴重である。

 被爆から70年ともなると、被爆者の大多数が世を去り、体験談を語り継ぐ人もいなくなり、原爆被害が風化しつつあることを憂いている。写真展では原爆の被害がどんなものであったのかを知り、再び核兵器が使用されない、平和な世界への願いを強めていただきたい。

 いま安倍晋三政権は国民の声を無視して、安保関連法案を強行に推し進め、戦争のできる国へと向かっている。法学者が憲法違反だと断定していようが、「決めるのは私である」と強弁するさまは、独裁政治のたどってきた80年前を想起させる。

 戦争は殺し合いである。核が使用されることになれば、人類の破滅を招くことになる。戦争を放棄した日本国憲法こそ世界に誇りうる財産である。

 日本写真保存センターは、被爆直後を捉えた松重や山端らの写真原板を、わが国の有形文化財に登録し、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産として残していきたいと考えている。原爆の恐怖を記録した写真の重みがいま再び認識されようとしている。(写真家、公益社団法人日本写真家協会副会長)

(2015年8月19日中国新聞セレクト掲載)

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