『潮流』 「恩人」の肖像画
21年10月19日
■呉支社編集部長 道面雅量
東広島呉道路の上三永インターチェンジから国道2号へ降りてすぐ、色鮮やかな社殿で目を引く寺がある。先月の半ば、珍しさに引かれて、ふとハンドルを切り、お参りさせていただいた。「龍玄精舎」、真言宗の寺という。ご住職や職員が懇切丁寧に案内してくださり、恐縮した。
社殿の裏手にある仏舎利塔(パゴダ)も見せていただいた。1996年、スリランカの寺院との仏縁を得て建立。内部には、スリランカ人画家の手で描かれたという連作仏画のほか、威厳をたたえたセピア色の肖像画があった。一緒にいた妻が思い当たり、「ジャヤワルデネ大統領よ」と言った。その通りだった。
大統領となる前の蔵相時代、サンフランシスコ講和会議(1951年)で、日本への戦時賠償請求を放棄する演説をしたことで知られる。その際、「憎悪は憎悪によってやむことはなく、慈愛によってやむ」と仏陀(ぶっだ)の言葉を引用した。96年の死去の際、片方の目の角膜は遺言に従って日本人に提供されたという。
精舎の初代住職は、スリランカでジャヤワルデネ氏と親交を結び、広島にも招いている。3代目に当たる現住職は「日本にとっての大恩人と、初代に聞かされて育った」と話す。
その肖像画の前で話題に上ったのが、名古屋の出入国在留管理局で亡くなった元留学生のスリランカ人女性のことだった。人権無視としかいいようのない入管の対応は、今の日本の何を映し出しているだろうか。日本が国際社会に復帰した講和会議での「恩人」に、向ける顔がない。
岸田文雄首相の所信表明演説に「国際社会の人権問題にも、省庁横断的に取り組みます」とあった。しかし自国の入管制度への言及はなかった。総選挙の争点にもなるべき重大な課題のはずだ。日本が「国際社会」の一員であれば。
(2021年10月19日朝刊掲載)
東広島呉道路の上三永インターチェンジから国道2号へ降りてすぐ、色鮮やかな社殿で目を引く寺がある。先月の半ば、珍しさに引かれて、ふとハンドルを切り、お参りさせていただいた。「龍玄精舎」、真言宗の寺という。ご住職や職員が懇切丁寧に案内してくださり、恐縮した。
社殿の裏手にある仏舎利塔(パゴダ)も見せていただいた。1996年、スリランカの寺院との仏縁を得て建立。内部には、スリランカ人画家の手で描かれたという連作仏画のほか、威厳をたたえたセピア色の肖像画があった。一緒にいた妻が思い当たり、「ジャヤワルデネ大統領よ」と言った。その通りだった。
大統領となる前の蔵相時代、サンフランシスコ講和会議(1951年)で、日本への戦時賠償請求を放棄する演説をしたことで知られる。その際、「憎悪は憎悪によってやむことはなく、慈愛によってやむ」と仏陀(ぶっだ)の言葉を引用した。96年の死去の際、片方の目の角膜は遺言に従って日本人に提供されたという。
精舎の初代住職は、スリランカでジャヤワルデネ氏と親交を結び、広島にも招いている。3代目に当たる現住職は「日本にとっての大恩人と、初代に聞かされて育った」と話す。
その肖像画の前で話題に上ったのが、名古屋の出入国在留管理局で亡くなった元留学生のスリランカ人女性のことだった。人権無視としかいいようのない入管の対応は、今の日本の何を映し出しているだろうか。日本が国際社会に復帰した講和会議での「恩人」に、向ける顔がない。
岸田文雄首相の所信表明演説に「国際社会の人権問題にも、省庁横断的に取り組みます」とあった。しかし自国の入管制度への言及はなかった。総選挙の争点にもなるべき重大な課題のはずだ。日本が「国際社会」の一員であれば。
(2021年10月19日朝刊掲載)