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社説・コラム

『想』 高木(たかき)いさお ヒロシマが原点

 小学6年生の1966年、広島に原子爆弾を投下した爆撃機エノラ・ゲイの乗組員に関する自由作文を書きました。

 54年に京都市で生まれ、被爆を体験していませんし、リアルタイムでヒロシマを知っているわけでもありません。

 しかし、幼いころから尾道市出身の母と、陸軍兵士として原爆投下後の広島で救護活動をした父から、ヒロシマの話を聞かされていました。両親の話だけではなく、映画やテレビドラマなどからのヒロシマに関する情報は今よりずっと多かったので、少年の僕にもヒロシマは遠い出来事ではなかったのです。

 だから、ヒロシマのことを、ヒロシマで亡くなったり、負傷したりした多くの人々のことを、子どもながらも真剣に考えて作文にしました。

 その作文を書いた小学6年生の冬、小児結核になったのです。実際は軽度だったのですが、自宅療養をした4カ月もの間に、多感な僕は結核という病名におびえながら、生と死について深く考えるようになっていました。ですから、人間の生死について考える時、人間が生きることの意味を考える時、ヒロシマを原点にするようになったのは、小学6年生の時からなのです。

 自作の詩「8月6日」が広島東洋カープの本拠地マツダスタジアムで朗読されたのが、2011年8月6日でした。

 「忘れてはいけないヒロシマの心」をテーマにしたこの詩が何万人もの人々に届きました。だが、届いたらおしまいではありません。ヒロシマの心があり続けること、ヒロシマの心が日本中、世界中へ広がっていくことに、この詩が届けられた意味があるのだと思っています。

 大事なことを忘れてしまったら、大切なものを失うことになります。決して忘れてはいけないことを、言葉で刻み込むのも詩の役割だ、と考えているのです。

 被爆70年の今年、忘れてはいけないヒロシマを再確認するために、平和記念公園へ4度目の訪問をするつもりです。(詩人=大阪府枚方市)

(2015年7月28日中国新聞セレクト掲載)

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