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社説・コラム

『想』 奥原征一郎(おくはら・せいいちろう) ボラ釣りに思う

 70年前の8月、暑い日だった。5歳の私は父に連れられ、疎開先の母の故郷、音戸町(現呉市)の奥の内の湾にボラ釣りに行った。情島に隠れるように戦艦「日向」がいたのを覚えている。

 船の位置決めを終え、釣り始めようとしたそのとき、強烈な閃光(せんこう)、音、そして山の上に黒い入道雲が現れた。原爆だった。父は「これは大変なことになった」とポツリと言った。

 今夏も、ボラ釣りに行った。餌はぬかである。ボラは臭くてまずいと言われているが、ぬかを食ったものは美味である。「あらい」にしてキュウリのぶつ切り、そして冷たいビール。これはこたえられない。

 さて、ボラ釣りであるが、その準備が誠に難しい。餌がぬか故、釣り針につけにくいのだ。海水をどれだけぬかに含ませるか、バランスが大切である。しかし、さらに難しいのが本番のボラ釣りである。

 船頭は1キロ前後のボラをどんどん釣り上げる。「なぜそんなに釣れるの」と聞くと、ぶっきらぼうに一言、「ボラと話ができるようになると釣れるよ」と。

 仙人面の船頭の顔を見ながら企業経営のことが頭に浮かんだ。話し合うこと、情報をとること、そしてタイミングを逃さない決断。なるほどと思った。

 1年前、商社の友人から「面白い仕事がある、一緒にやりませんか」と温かい声を掛けられた。私どもで対応できるか不安であったが、思い切って引き受けることにした。多くの方から知恵をお借りし、また、外国へも行き手探りで情報を集めた。同志の協力もあり、おかげで課題も解決できて順調に進んでいる。ありがたいことである。

 長年にわたりお世話いただいた方々、そして苦労をかけた同志に感謝の気持ちを持ち続けることの大切さを痛感している。

 ことしのボラの釣果は、船頭20匹余、小生5匹。まずまずであった。

 夕暮れ時、情島のあたりを見る。そこにはもう「日向」はいない。先人の大きな犠牲の上に今日の日本がある。この国を大切にしなければ、未来は暗い。(呉商工会議所名誉会頭)

(2015年7月24日中国新聞セレクト掲載)

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