×

社説・コラム

『想』 高田真(たかた・まこと) 100歳の産業奨励館

 原爆ドームこと旧広島県産業奨励館(当時広島県物産陳列館)の完成から100年にあたる4月5日の前夜、その建築デザインや公共空間としての価値を語るトークイベントを行った。百寿を素直に祝いたくて、大きなバースデーケーキも用意した。ヨーロッパの古典様式をベースとしつつウィーン分離派由来の装飾をつける、川を重視し建物を川沿いにカーブさせるといった専門的な話を、幅広い年齢層の人が関心を持って聞いてくれたのはうれしかった。

 原爆ドームは被爆地広島の象徴としての記号化が進み、誰もが廃虚として知っているが、建築作品として見ている人は少ない。以前の私もその一人で、知識をつけてから原爆ドームをあらためて見上げると全く違う景色が見えたのに驚いたし、建築としての真価を知るほどそれを瞬時に破壊する核の恐ろしさへの理解が進むのも分かった。

 さて、産業奨励館について調べるうちに、私の中に一つの疑問が浮かんだ。歴史に「たられば」は不興だが、「もし産業奨励館が被爆せず健全な状態で戦後を迎えていたら、21世紀まで残っただろうか?」

 おそらく残っていないだろう。煉瓦造(れんがぞう)で耐震性が低く規模も大きいので、反対運動むなしく解体されてしまう可能性が高い。結果的に原爆ドームは消極的な行政を世論が動かして保存が実現したが、その他多数の被爆建物が戦後の高度成長の中で消えていった。

 残りわずかとなった被爆建物の扱いは、被爆70年を迎える現代の大きな課題だ。歴史の実相を知るには書物や映像だけでは不十分で、人や建物と空間を共有し五感を使って得られる実感がとても大切だ。被爆者の高齢化が進む今、実感をもたらす被爆建物の役割はより大きくなっている。だが被爆建物の解体は止まらないし、広島の復興を支えた戦後の優れた建物がニュースにもならないで続々と失われているのも気がかりだ。

 よく言われる耐震性の問題は技術で大半をクリアできるから、建物の保存・解体は、結局はオーナーと市民の建物への思い入れの大小で決まる。私が代表を務める市民団体アーキウォーク広島は、建築ガイド本の出版や、普段中に入れない名建築の見学会などを通して、被爆建物や現代建築といった区別なく、優れた建物の価値を一般にアピールする活動をしている。

 美しい街並みをとどめながら各時代の建築を積み重ねていくヨーロッパの人たちに建築好きが多いのは決して偶然ではないし、日本の食のレベルが世界一なのは舌の肥えた人が多いために他ならない。良い建物を良いと認める市民の意識さえあれば、良い建物は高い家賃で貸せるからオーナーは保存に投資できるようになる。さらに市民が住む家にこだわりを持ちメーカーの大量生産品を買うのをやめる、行政は設計入札をやめるなどの行動が積み重なれば、街は必ず美しくよいものになる。

 意識を変えるのはとても時間のかかることだが、まずは原爆ドームなどの見慣れた建物を建築作品として見直すところから、地道に、でも楽しみながら進めていきたいと考えている。(アーキウォーク広島代表)

(2015年5月8日中国新聞セレクト掲載)

年別アーカイブ