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連載・特集

「がんす横丁」シリーズ がんす横丁 (二十八)両練兵場のこぼれ話㊤

文・薄田太郎 え・福井芳郎

 東練兵場での坂本寿一氏の公開飛行や、西練兵場での天才飛行家山県豊太郎君の宙返り飛行は、一応「広島おぼえ帳」のうちでも、飛行機に関する限り、記録的な思い出ばなしである。ところが、まだ西練兵場には次のようなこぼれ話があるので、それをつづることとしよう。

 梅田氏の飛ばない滑走だけの飛行機が有料公開されるまえに、大手町入口の広場に掛小屋がつくられ、この天幕内の舞台で模型飛行機や模型軽気球を並べて、その説明をやったことがある。表入口にはジンタが陣取って景気をあおったが、飛行機というものの形を広島に公開したのはこれが最初であった。

 同じ練兵場でのアート・スミス氏の宙返り、木の葉落し、逆転飛行の有料公開は前述どおり佐伯卓造氏の肝いりで大正四年に行われた。この時スミス氏が機上から空中撮影中カメラのレンズを取り落し、このレンズを拾得した者には、お礼をするから届出てもらいたいと中国新聞の広告欄にその旨が掲載された。するとその翌日であったか、師団司令部近くの道路で、レンズが発見された。

 また、東練兵場でのこぼれ話であるが、大正十年であったか、フランスのパリから東京間の長距離飛行がフランス航空将校で計画され、インドを経て奉天(現在の中国・瀋陽市)まで飛行をつづけたが、同地で着陸の際、機体を破損し、東京への飛行を断念した。その時、奉天の張作霖将軍は自分の飛行機をフランス航空将校に提供して、東京への続行飛行を激励した。そのニュースがあって数日後、張将軍の飛行機を操縦したフランス将校は海峡を渡り、広島での給油を終えて大阪へ飛ぶことになった。

 筆者はゆくりなくもこの遠来の飛行機を見た一人であるが、飛行機は愛宕町の列車踏切りを左に曲がった東練兵場の一角にある松林の中で、翼をやすめていた。間もなくガソリン缶が運ばれて手早やに給油され、フランス将校は搭乗席に座を占めた。

(2017年4月23日中国新聞セレクト掲載)

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