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社説・コラム

「がんす横丁」シリーズ がんす横丁 (二十九)京橋川の御供船(おとぼん船)㊦

文・薄田太郎 え・福井芳郎

 明神浜、京橋川の中央には、京橋町、橋本町とそれぞれの町名を染め抜いた幟(のぼり)を立てた二艘(そう)の御供船が浮いている。舳先(へさき)には黒帯のさがりが水にすれすれの美しい形をみせて、船の両側には水色の垂れ幕がそのまま水の上に浮いていた。船の中心部には破風づくりのやぐらが建てられ、その周囲には宮島さんの定紋を染め抜いた提灯(ちょうちん)がつり下げられていた。

 船の四角には金糸銀糸でつづられた昇り龍(りゅう)、降(くだ)り龍の幟が立てられ、色とりどりの大きな吹き流しがあたりをはらっていた。とくに子供たちの目をぱちくりさせたのは、たたみ二畳敷もある船の艪(ろ)飾りで、牛若丸と弁慶の五条橋は文字通り金糸銀糸で縫いとられ、弁慶の鎧(よろい)や七つ道具、牛若の狩衣(かりぎぬ)などが、それぞれ輝くばかりの押絵で飾られていた。そしてこの押絵があかあかと、かがり火に照らされた光景も忘れられない。

 このおとぼん船はどうにもうまく描写できないが、原民喜氏の筆にもあるように、この風景は夢幻の世界にあったものである。

 浮城のようなこの船の美しさは、夜とともにひとしお美しさを増してゆく。あかりの入った定紋入り提灯の赤い色がそのまま満潮の京橋川に映った風情は、一口には言いきれない。前夜祭にはこのおとぼん船を中心にした囃子(はやし)船や、見物人を多数乗り込ませた船が京橋下を浮遊する風景も、なかなかに口や筆では現せないと思う。

 花見や十二神祇も、この夜の美しさを持った要素であった。

 この夢のような船を見るために京橋上に集まった市民たちは、容易にらんかんには近よれなかった。あまりの人出に交通巡査も動員され、この人の流れをさばいたのも、昭和初期までの思い出である。御供船の装飾品一切は、各町内ごとにこれを準備していた。たとえば京橋町、橋本町ともそれぞれに一揃(そろ)いの御供船道具を持っていて、これらはいずれも維新前からの調度品であった。

(2017年5月21日中国新聞セレクト掲載)

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