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連載・特集

「がんす横丁」シリーズ がんす横丁 (三十一)街角にあった鉄の冠㊦

文・薄田太郎 え・福井芳郎

 金毘羅さんは平塚町の守護神で、同町に住んでいた映画解説者として知られた竹田清一君が、この社をしばらくお守りしたことも思い出される。現在、同君は岩国市に住んでいる。

 この金毘羅通りを突き抜けた鶴見橋通り(今は百メートル道路の一部になっている)のある古本屋には、東洲斎写楽の大首が二枚、額に入れてあったのも懐かしい思い出である(確か一枚の雲母(きら)刷は市川男女蔵(おめぞう)の大首であった)。

 この金毘羅通りを南に抜けた道は二本もあって、中国新聞の主筆(編集長)であった西川芳渓氏の家もこの横丁にあった。この二つの道は、そのまま表通りの順教寺前へ出られた。物乞いの「八やん」がいた頃、この寺の裏通りに住んでいた小唄のうまかった通称「いわん」も、この界隈(かいわい)で名物男であった。

 順教寺前の通りを東遊廓(ゆうかく)に出ると、下柳町の巡査派出所があって、その前に大きな柳があり、その枝の下にはこの一角を開いた長沼鷺蔵氏の碑があった。廓(くるわ)内にあった柳座は、堀川町広島中央勧商場にあった八千代座と同型の劇場で、浪花節芝居や子供芝居の定打小屋であった。

 若槻礼次郎氏の演説会がこの小屋で行われたとき、場外にあふれた観衆に対して、同氏が柳座の前にあった料亭二葉楼の二階から演説をやったのも、つい先ごろのように思われる。

 八丁堀太陽館が改造中に、この小屋で映画を興行した。オリンピックに優勝した女子水泳選手アンネット・ケラーマン嬢の「神の娘」が上映されて好評を博したのもこの小屋で、最近ある古老から、現在浪曲界の女王といわれている某女も、少女時代をこの柳座の物売場で芸道修業をしたと聞かされた。

 もっともこの話は、巴(ともえ)うの子が、その少女時代を日吉川うの子の芸名で太陽館に出て、しばらく柳座をも手伝った話が、このように誤り伝えられたのかも知れない。

 近くの真言宗松生院は、消防出初式のハシゴのぼりの練習場であった。また徳栄寺前の柳の側には人力車駐車場があったのも、大時代の話である。

(2017年6月18日中国新聞セレクト掲載)

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