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連載・特集

「がんす横丁」シリーズ がんす横丁 (四十三)新天地こぼれ話(その2)㊦

文・薄田太郎 え・福井芳郎

 新天座ではまた、地元の親分衆が請元になっての一若改め吉田奈良丸、二代目吉田大和之丞の襲名興行も立派で、春野百合子も参加して一座一同が舞台に並んで、黒紋付ならぬ狩衣姿での襲名口上も珍らしい光景であった。

 また剣劇では小川隆、筒井徳二郎以来、ほとんどの剣劇役者が顔を見せている。なかでも第二新国劇の室町次郎が「湯殿の長兵衛」で水野が持った本身のヤリでモモをつかれ、立町の難波病院にかつぎ込まれた話はあまり知られていないが、その室町次郎とは間もなく日活に入り、「黄門漫遊記」でデビューした大河内伝次郎の前身であった。権八をやった原健作、唐大権兵衛をやった金井修も、今もって健在であるのは懐しい。

 映画の剣劇役者といえば、東亜シネマにいた高木新平、生野初子夫婦が一座をつくっての新天座乗込みも凄(すご)かった。舞台での立廻(たちまわ)りは真剣の渡り合いで、刃を合わせるたびに火花が散り、毎日のようにケガ人が出て、破れるような人気であった。

 ところがある美ボウの女優をめぐって、文字どおり恋の鞘当(さやあて)があり舞台上で芝居以上の恋敵を謀殺しようとした事件があったが、この顛末(てんまつ)については別の機会にゆずるとしよう。沢井三郎という、居合い抜きのうまかった俳優もいた。

 かっては東新天地演芸館の花形であった永田キングも、さきごろ尾道あたりで自殺をしかけたと報道されたが、仲間には亡くなったミス・ワカナが浪花家若葉といって芸道修業中であった。玉松一郎という彼女の相棒が、チェロを担いでワケの判(わか)らない漫才をやっていたのもさきごろのような気がする。

 ラジオの内海突破も無名時代をこの小屋でくすぶっていたが、さすがに横山エンタツは新天座開場間もなく呉から現れて、愛妻にドタマを叩(たた)かれていた。異色の芸人江戸家猫八がうらぶれて、猫遊軒猫八の一座に買われたのはさびしいこぼれ話である。

 なお演芸館の前身、天使館で映画の合い間に、「長恨歌」「谷の小屋」に出演したモンロー・サルスベリーが舞台に立ち、往年のブルーバード(米国の映画会社)ファンを喜ばせたのも忘れられない。アメリカの映画俳優といえば、一昨年(1951年)の原爆の日、広島の銀座東宝映劇に現れた名射手ケニー・ダンカンは、サルスベリー以来二人目のアメリカ人映画俳優であった。

(2017年12月17日中国新聞セレクト掲載)

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