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連載・特集

「がんす横丁」シリーズ がんす横丁 (四十四)八丁堀界隈(かいわい)(その1)㊦

文・薄田太郎 え・福井芳郎

 帝国館前の広場も、松井源水の流れを汲(く)む歯薬を売る香具師(やし)、居合術その他モロモロの街道芸人のたまり場となり、有田洋行というサーカス団、さては栃木山、大錦一行の角力(すもう)興行場にもされた。

 帝国館の隣にはローラー・スケート場もできて、当時のハイカラ広島人を喜ばせたもので、その跡には日本館、その隣りには道を距(へだ)って太陽館という活動写真館もできた。堀川町から胡町へ抜ける天満屋小路を通って、八丁堀の電車道へでる通りには太陽館の表入口があったが、間もなく表玄関は電車道に移動して、日本館と軒を並べた。太陽館の隣りには、広島唯一の台ワン料理「ビーフン」を食べさせる店もあった。

 八丁堀の三館では、それぞれに独特の写真を上映した。つまりはそのころから、配給系統はハッキリしていた。薬研堀の薬屋さんが経営していた帝国館は、ほとんどユニヴァーサル映画でブルーバード(米国の映画会社)の初期の作品が封切られた。「南方の判事」「毒流」「長恨歌」「質屋の娘」、連続ものでは「紫の覆面」「電話の声」「怪漢ロロー」「月光の騎手」など。

 日本館は沢村四郎五郎の時代劇と帝キネの新派もの、それに「名金」「プロテア」、パテー(フランスの映画会社)の「護る影」、アメリカン連続の「金剛星」「天馬」、チャップリンものなどが人気を博した。後には東洋座と改名して阪妻(阪東妻三郎)ものなど松竹系の専門館となった。

 また、尾上松之助ものを上映した太陽館は、新派では日活向島作品、洋物では「シビリゼーション」「国民の創生」「噫(ああ)無情」、ロイドものなどを上映して三館鼎立(ていりつ)時代を現出した。太陽館には毎日のように館主の田中老が姿をみせて、三百号大の表看板をえがいていた「づぼら翁」と仲よく話し合っていたのもさきごろのことのように思える。同じ館にいた和服着一点張りの檜垣捨夫君も若かった。

 人気のあった解説者諸君のことについては“夢の盛り場”で一応紹介ずみなので割愛するが、あのころ三館ともに、それぞれ達者な「呼び込み」がいた。「呼び込み」というのは、映画館の前にイスを持ち出して、一見なんでもない存在であるが、その役目たるやなかなかになまやさしいものではない。

 「いらっしゃーい。ただいま好評猿飛佐助、いよいよでて三好青海入道大あばれの巻、ご思案は早いがお得」

 これが呼び込み調の一例であるが、お客を引きつけるコツは、まず客がその映画館の前に現れるといきなり大声で「いらっしゃい」とその客の足をとめる。一気に「ご思案は早いがお得」といわれると、義理にも他の館には入れなかったとのことだ。太陽館前にいた肥(ふと)った「呼び込みさん」は不思議な魔力らしいものを持って、彼の大きな呼び込み声は風の強い夜、白島方面まで聞えたことがある。

(2018年1月14日中国新聞セレクト掲載)

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