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連載・特集

「がんす横丁」シリーズ がんす横丁 (四十五)八丁堀界隈(かいわい)(その2)㊦

文・薄田太郎 え・福井芳郎

 福屋の新商法は、アメリカの十セントストアーをまねて、平田屋町角(いまのキリンビヤホール)に十銭ストアーをこしらえて新しい人気を集めた。十銭から五十銭までの商品を取りそろえたアメリカ式商法はかなり効果を挙げたようで、この十銭ストアーも昔の広島人には思い出の一こまであった。

 福徳生命ビルの福屋も昭和七年ごろには手ぜまになって、本格的な百貨店福屋の企画が立てられた。すなわち総延坪三千五百坪、地上八階地下二階、総工費百五十万円で、旧福屋前の敷地四百坪を買収した。

 大体当時の八丁堀十字路あたりの地価は坪五百円程度であったが、福屋の土地買収からすでに八百円から九百円台の高値を呼んでいた(しょせんは二十年前の相場で、現今の地価とはほとんど飛び離れていることを承知されたい)。昭和十一年のある新聞には、この新築福屋について次のような記事が出ている。

 「八丁堀の十字路に四百坪の空地を占領して約一年、無細工な板囲いが都市美をめちゃめちゃに壊している。この〝ど拍子もない〟怪物は福屋の新築敷地で、立退きを肯じないKさんが訴訟ザタまで起してガン張っているため着工に手間どり、この始末におよんでいるワケ。この騒動に広島会議所が仲裁に乗り出しているが、いまのところ解決の目鼻がつかない。福屋側では永い間、現金と高い金利を寝かしているので日々若干の損害を被っており、一方Kさん側でも死活問題としていまでは意地づくで食いさがつている…」

 この記事にあるように、新福屋の誕生については一つのトラブルがあり、敷地買収を終ってからまる三年、その間十坪に足りぬ飲食店から法外の立退料を申し出られたという話も、いまは語り草の一つになっている。

 かくてその決着については知るよしもないが、新福屋は昭和十二年十月に華々しく市民の前にお目見得した。そして八年後には原爆のため、外観はともかく店内は廃虚と化した。八年後の今日、ようやくに本来の福屋に立ち返りつつあるが、恐らくは屋上にある福屋マークのネオンに灯がつく日までは、店内の整備がつづけられることであろう。

(2018年1月28日中国新聞セレクト掲載)

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