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連載・特集

「がんす横丁」シリーズ がんす横丁 (五十二)猿楽町界隈(かいわい)(その2)㊦

文・薄田太郎 え・福井芳郎

 産業奨励館の建築設計者が外国人(チェコ人のヤン・レツル)であったということを証明づけるものに、珍しいラセン階段がある。現在、原爆に焦げただれた赤錆(あかさび)の態をさらしているが、このラセン階段を包んだ鋼鉄製の塔は、外国に見られる古城の形にも似たもので、ディズニーのシンデレラの場面にも、このラセン階段の塔に似た古城が描かれている。

 あのころ、このラセン階段は、紫色の袴(はかま)をはいたシンデレラたちの専用で、この階段の設計は玄人筋にも驚異であった。また、立派な洋風便所の設備や、ドーム内側の白い円形の天井壁、電気自動パイプオルガンがあった小集会場の設計など、創設当時すでに関西第一の洋風建造物として人気を集めていた。

 庭園にあった六本柱の噴水塔には、大理石製のギリシア神話劇のマスクが飾られて、その口からふき出す水の風景は、ロートレックの絵の中にも見かけるような平和さがあったと思う。

 また、この産業奨励館は、大正五年五月に第一回広島県美術展覧会を開催してから、永年、広島美術の殿堂として郷土出身画家たちには忘れられないところである。地方文化運動の先駆として結成された広島県美術協会の運営については、豊島、峰松両館長を会長とし、それを援(たす)けた副会長としての原白山氏や、長尾潤堂氏たちの功績も忘れられない。

 創立当時の世話人であった中忠商店の熊谷忠一氏、広島県美展の恩人で、永年この美術協会のために総括的事務を扱った槇田女史のことも記録に残されてよいと想(おも)う。

 県美展創立当時の日本画に名を連ねた人たちには、里見雲嶺、林半嶺、中川広嶺、内畠暁園、八木雲谷、加藤晴彬、稲田素邦、石谷柑圃、村上蘭田、丸木位里、田中月観の諸氏。洋画家には日比野勇次郎、後藤栄之進、神田周三、肥後本義夫、橋岡勝一、増田健夫、大木茂の諸氏。その後参加した洋画家にはパリから帰った田中万吉、吉岡一、実本仙、休場実、福井芳郎、山路商、野村守夫、アイコウ(靉光)氏たちの名が思い出される。

 搬入作品のうちには「大杉栄の像」があって落選したこともあり、ときには落選画家の作品を集めて、審査員への面当てに中国新聞社三階で「県美展」と時を同じくして「落選美展」が開かれたこともあり、当時熱情に燃えた若い洋画家たちの活動はなかなかに盛んであった。

 広島県美展は連日入場者満員の盛況で、天井の壁が落ちたこともあり、会場の前には紅白の大きな吹き出しが飾られたのも印象的であった。当時、入選作品は即売を行なったため、売れた作品のあとへ自分で勝手に別の作品を並べたという笑えない話もあった。

 南薫造氏や田中頼璋氏たちの作品も特別出品されて人気を呼び、会場外では田中市米氏の恒例の楽焼も行われた。

(2018年5月6日中国新聞セレクト掲載)

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