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社説・コラム

[歩く 聞く 考える] 8月ジャーナリズムの行方 「受難の語り」一辺倒でなく 日本大教授・元NHKディレクター 米倉律さん

 毎年夏には新聞やテレビは戦争や原爆に関する報道を繰り広げる。風物詩と呼べるほど集中するため「8月ジャーナリズム」と、やゆされもする。日本大法学部教授米倉律さん(53)は近著「『八月ジャーナリズム』と戦後日本」(花伝社)で、日本の被害に焦点を当てた内容が多いと問題点を指摘しつつも「果たすべき役割はまだ大きい」と言う。メディアの状況が変化した今、その報道はどうあるべきか聞いた。(論説委員・田原直樹、写真も)

  ―8月ジャーナリズムはどのように始まったのでしょうか。
 原爆投下や終戦など、節目の日が8月に多いことから、1950年代から本格化します。そこには日本人の戦争への思いが濃厚に反映されてきましたし、逆に、読者や視聴者である国民の歴史認識に影響を与えてもきました。相関的な現象であり、戦後日本の「自画像」と見ることもできるでしょう。

  ―他の国でも8月は戦争を顧みる報道が集中するのですか。
 いいえ、国際的には太平洋戦争を含む第2次大戦終結は9月2日です。「戦後」の捉え方も日本とは違う。多くの国の戦後は、冷戦終結などの時点で終わります。今も太平洋戦争の「戦後」であるのは日本くらい。終戦後に東西対立など大国の思惑も絡み、日本は戦争をきちんと総括できないままきました。それでいまだに8月ジャーナリズムが「戦後○年」の日本を問うているのです。

  ―どんな特徴がありますか。
 日本人が受けた戦争被害に焦点を当てた報道が中心です。被爆をはじめ無謀な戦闘や空襲、引き揚げなどをたどる、いわば「受難の語り」です。時代ごとに振幅もありました。80年代や90年代には旧日本軍によるアジア諸国での加害を取り上げる報道も多く見られました。

 その後、中国や韓国と歴史認識を巡り緊張関係に入ったのと符合するように戦争被害の回顧が再び大勢となっています。8月ジャーナリズムはこれでいいのか、考えるときです。

  ―なぜ8月ジャーナリズムに着目し、たどるのですか。
 安倍晋三元首相の歴史認識への疑問が出発点でした。2013年の全国戦没者追悼式からアジア諸国への加害と反省に言及しなくなります。歴史が忘却されるという危機感が募りました。

 5年前、当時のオバマ米大統領の広島訪問も大きく報じられましたが、スピーチは釈然としませんでした。原爆を落とした主体を特定せず、ポエティック(詩的)で疑問を抱きました。

  ―NHKで原爆や戦争の取材を手掛けた経験もありますね。
 戦後50年の節目には広島放送局で原爆関連の報道をし、その後は8月6日のNHKスペシャルも制作しました。でも今思うと不勉強でした。8月ジャーナリズムが持つ意味、問うべきことの自覚が不十分でした。残念ながら、現場は今も同じような状況ではないでしょうか。

  ―8月ジャーナリズムが果たしてきた役割は何でしょうか。
 受難の語りが中心であっても毎夏、戦争の悲惨を思って二度と起こしてはならないという、日本独特の平和主義思想を形成したことは評価すべきです。

 市民の被害を描く映画やアニメが近年公開されていますが、物語化が指摘されます。戦争は悲惨、平和が大事―と抽象化された紋切り型のメッセージを伝えるだけで、歴史の洞察や反省につながらないとの批判です。

  ―では、どういう内容が求められますか。
 国内外のもっと多様な戦争観を提示し、人々に共有されるように努めねばなりません。受難の語り一色から脱し、人々の対話を生み、周辺諸国との和解に結びつくような報道が欲しい。

  ―若者の新聞・テレビ離れが進む中、今後の展望は。
 今年夏のテレビ報道には受難の語りでない、注目すべき番組もありました。ヒロシマを米国人女性の視点で語る民放のドキュメンタリーと、NHKスペシャル「銃後の女性」です。

 後者の制作は女性が中心でした。作り手の世代交代、従来と違う視点や作り方など、8月ジャーナリズムに新しい風が感じられて心強い。ネット時代で存続も厳しいでしょうが、戦後である限り、あの戦争を多面的に語り継がねばなりません。

■取材を終えて

 被爆者や戦争体験者が減少する中、8月ジャーナリズムのあるべき姿とは―。被爆地の記者として自問し、取り組みたい。

よねくら・りつ
 愛媛県西条市生まれ。早稲田大大学院政治学研究科修了。94年NHK入局、広島放送局で番組ディレクター。報道局、NHK放送文化研究所を経て、14年日本大法学部新聞学科准教授、19年から現職。専門は映像ジャーナリズム論。放送倫理・番組向上機構(BPO)委員。日本マス・コミュニケーション学会の理事も務めた。

(2021年10月27日朝刊掲載)

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