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連載・特集

「がんす横丁」シリーズ がんす横丁 (六十)大手町界隈(かいわい)(その6)㊥

文・薄田太郎 え・福井芳郎

 筆者が覚えている本逕(ほんきょう)寺の松は、あのごろ広島名所の一つにされて、ハンカチにその松の写真が刷り込んであったものを、どこかで売っていた。寺の境内のまんなかに大傘のような枝を張っていたあの名松も、いまやなんの面影もなく、ただ「本逕寺」と太く刻まれた手水(ちょうず)鉢が残されているだけであった。

 長久寺前で話をした老人は足もとを指さして、この小路の右側は三尺ばかりの溝があって豆狸(まめだぬき)がすんでいたという。

 狸と言えば、大手町七丁目(旧六丁目)の「バタバタ」は広島の七不思議の一つとして、今日でも古老の間で言い伝えられている昔話である。すなわち、六丁目には昔から「バタバタ」が出ると言われたもので、バタバタは狸が腹鼓を打つ音を表現した言葉で、その音のする方へ近寄るとその音が遠ざかり、また遠退(の)けば音が近く寄って来た。誰もその正体を見とどけたものが無く、それがために当時の学者の間でいろいろと議論されたともいわれる。

 頼山陽先生もこのバタバタの話を聞いて「婆多婆多」というタイトルで漢詩を書いているが、この漢文はなかなかに筆者には読めないので、メモを採るのをやめた。最近、この「バタバタ」について、ある読者が次のような資料を寄せられたので、参考までにその一文を挿入しよう。

 「バタバタ太鼓といって夜毎(よごと)、豆ダヌキが出るので有名だったそうです。マクラもとまで来て『トンパタパタ、トンパタパタ』と腹鼓を打つのでやかましく、少し頭をもたげると、トタンにダイヤルを回したラジオのように遠いところで同じように叩(たた)くので、これにはほとほと閉口したと伯母から聞いた話があります」

 バタバタ話は以上のとおりであるが、今一度、七丁目の表通りに戻ると、堀田眼科の前に田村小児科医院があった。そして、堀田眼科の南方五十メートルの角に阿部酒屋があり、その並びの魚芳という魚屋の間に「細の小路」があった。

 この小路には、鬼六郎と言われた浅野藩の剣術師匠役、貫心流の達人細呑空の道場があった。この道場の主の名がそのまま「細の小路」として言い伝えられたものである。この並びには三番小路、二番小路、一番小路と言われる三つの小路があって、「細の小路」は南から四番目の小路であった。

 この連載は、1953(昭和28)年1月から3月にかけて中国新聞夕刊に掲載したものです。旧漢字は新漢字とし、読みにくい箇所にルビを付けました。表現は原則として当時のままとしています。

(2018年10月7日中国新聞セレクト掲載)

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